千鳥屋分裂の系譜~老舗ブランドの光と影(2)看板商品「チロリアン」と暖簾分け
千鳥屋の歩みは、単なる一軒の老舗による拡大の軌跡ではない。原田一族は飯塚を軸に、福岡、東京、大阪・兵庫へとそれぞれの道を歩み、やがて「4つの千鳥屋」と呼ばれる姿になった。同じ暖簾の下にありながら、進む方向は少しずつ異なり、その広がりは栄光であると同時に、分裂と葛藤の歴史でもあった。
ツユ氏の時代に生まれたのが、千鳥屋を象徴するもう1つの主力商品「チロリアン」だった。62年に発売された洋風巻きせんべいのチロリアンは、千鳥饅頭に次ぐ看板商品へと成長した。伝統菓子だけでなく、新しい洋菓子の感覚を取り入れたことは、千鳥屋の市場拡大に大きく貢献した。ツユ氏は、5男3女の子宝に恵まれた。娘3人は福岡県内外の名家に嫁いだが、子息5人のうち夭折した四男以外は事業に従事した。長男・良康氏は、東京を担当し千鳥屋総本家を興した。さらに三男・太七郎氏は、73年に開設した大阪(兵庫)を受け持ち、現在の(株)千鳥屋宗家となる。現在は、子息の誉之氏と2人代表制を敷いている。福岡に残ったのが、次男の光博氏と五男の利一郎氏。光博氏が設立したのが現在、福岡の千鳥饅頭総本舗。現在は長男の浩司氏が代表を務めている。利一郎氏が手がけたのが、今回、民事再生法の申請を行った飯塚の千鳥屋本家。ここに、「4つの千鳥屋」の原型がかたちづくられた。
老舗の歴史と現法人のずれ
もっとも、ここで注意しなければならないのは、暖簾分けの時期と現在の法人設立年が一致するわけではないという点だ。たとえば、福岡系の千鳥饅頭総本舗は、家業としての分岐は73年に始まったとされる一方、現在の法人は97年設立である。同様に、飯塚系も「1630年創業の流れ」を前面に掲げているが、現法人としての千鳥屋本家は2005年設立、06年に飯塚へ移転した会社である。つまり、「創業400年近い老舗」という歴史と、「今の法人としての履歴」は別物なのである。この二重構造が、千鳥屋を外から見えにくくしている一因でもある。
ツユ氏が語った経営哲学
ツユ氏はかつて自身の人生をまとめた著書にこう記している。「女ですからひともうけしようという冒険心はなく、豪華な社長室を欲しいと思ったことはありません。堅実経営の方針の下、ひたすらに『お客さんに喜んで買うていただくお菓子をつくる』ことに信念を貫いてきた」。この著書では文末に自身のお菓子づくりへのこだわりとあんこづくりの難しさが綴られている。夫が道を切り拓き、子どもたちの頑張り、兄弟の助言に加え、一丸となって支えてくれた従業員、ひいきにしていただいたお客さまをあんこの皮にたとえ、自身が包まれて「経営」という饅頭をつくることができたことに感謝の念を述べている。
(つづく)
【内山義之】








