米・イスラエルとイラン戦争(40日目)―高市氏の「ホルムズ海峡は国際公共財」論を支えよ(後)

 日本ビジネスインテリジェンス協会(BIS、中川十郎理事長)より、(有)エナジー・ジオポリティクス代表・澁谷祐氏による「米米・イスラエルとイラン戦争(40日目)―高市氏の『ホルムズ海峡は国際公共財』論を支えよ」と題する記事を提供していただいたので共有する。

イランは国連条約を未批准

 イランとオマーン両国間では、1974年7月25日に大陸棚境界画定合意が署名され、1975年5月28日に発効した。基本的には等距離中間線に基づく境界画定であるが、上部水域には影響を与えない旨の条項が含まれている。

 なお、署名前に両国は「地域の安定の維持とホルムズ海峡の通航の自由の確保を目指す協定を共に希望する」旨を表明した共同コミュニケを発した。

 イランとオマーン両国による共同パトロールは合意されたが今まで実施されていない。イランは国連海洋法条約に1982年12月に署名したが今日まで同条約を批准していない。

 ホルムズ海峡は国連海洋法条約第37条にいう国際海峡である。すなわち、公海または排他的経済水域の一部分と公海または排他的経済水域の他の部分との間にある国際航行に使用される海峡である。それゆえ、あらゆる外国船舶に対して通過通航権(第38条)が認められ、通過通航は停止してはならない(第44条)。

戦争保険料も急騰

 ホルムズ海峡を航行しようとする船舶の保険料が急騰している。ペルシャ湾や海峡に停泊中の船舶が、複数の無人機による攻撃を受けている。

 3月31日には、ドバイ近郊でクウェートの石油タンカーが少なくとも1機のドローンに攻撃され、火災と船体損傷が発生した。米国が約束した海軍護衛(いまだ実現していない)や国家保証による保険も、船主が乗組員の命を危険にさらす覚悟を決めるには至っていない。

 専門家によると、物理的なリスクや保険料の負担に加え、米国、欧州連合、英国による制裁対象となっているIRGCと取引を行うことは、船舶が制裁措置やマネーロンダリング対策規則に違反するリスクをともなうという。

親イラン国:オマーンの抱えるジレンマ

 オマーンはイランと伝統的に良好な関係を維持している。また、オマーンは中東における中立的な調整役を担っており、米イランの緊張緩和を試み、2月米イ協議を首都マスカットで開催したことは記憶に新しい。

 しかし、イラン戦争の勃発を契機に、いまイランとの関係は微妙だ。その最大試練は、イランが主張するホルムズ海峡の通航制限問題である。

 「戦時体制下」での打開策について、イラン側は「許可制」というかたちで管理権を主張しているものの、オマーンはそれを受け入れつつも、実質的に船舶を安全に通航させる独自の折衝を続けている。

 現在、ホルムズ海峡の航行上、技術的にはオマーン側の海域も航行可能であり、通行料は発生していない。

 オマーン側航路を船舶が通過する場合、ドローンやミサイル、機雷を用いた干渉の懸念があり、航行の安全が完全に保証されるわけではない。そのため、オマーン経由のルートは依然として混乱を回避できる代替案とは言い難い。

 国際海事法では「無害通航」が規定されており、オマーン側も通行料の徴収に反対しつつ、ジレンマは深まっている。

知られざる「コイン島の灯台」

 タンカーやコンテナ船など商船がペルシャ湾に入る場合、ホルムズ海峡の入り口にある、2つの岩礁からなるオマーン領のコイン島を目指してアラビア海からオマーン湾を北上し、ここで一気に120度以上にヘアピンカーブを切る。

 コイン島のムサンダム半島寄りはフィヨルドで岩礁が多く、潮の流れも早い。コイン島は2つの島からなるが大きな島は峻険で人影を見ることはない。小さい島(リトルコイン)が戦略上重視された。

 コイン島付近は航海の難所で、灯台が設置される前は、タイマツが燃やされ船舶の安全道標にされた。1818年東インド会社の手によってコイン島(リトルコイン)の灯台が完成し、ボンベイ政府サービス局から派遣された燈台守によって管理されたが、1966年にバーレーンにあるイギリス系の中東航海援助サービス局(MENAS)に引き継がれるまで約150年続いた。

 現在(2010年当時)あるコイン島灯台は英国海軍省によって1914年2月1日設置されたが、トンブ島(現在イラン領)とシャトアルアラブ河の河口においてもほぼ同時に設置された。要員はいずれもボンベイから派遣された。

参考:コイン島の灯台(北緯26度東経56度)

 コイン島の灯台はペルシャ湾では最も重要な灯台の1つで、現在の建物構造の高さは79フィートあり、焦点は196フィートの高さで、5名のクルーが常駐している。なお、コイン島の領有権について、オマーン政府は主権を確保し、海軍艦船を派遣している。1978年コイン島にはオマーン海軍のレーダーサイトが設置され、ムサンダム半島のアルガネム島(ゴート島)の海上情報センターと連携し、ペルシャ湾の航行安全を見張っている。

ペルシャ湾/アラビア湾の呼称問題

 本稿では、イランとアラビア半島の間に位置する海域の呼称について、国際的には「ペルシア湾」が一般的・歴史的な正式呼称とされているので、これに従った。1960年代以降アラブ側が「アラビア湾」の呼称を主張してきた。国際連合や多くの国際機関では、歴史的経緯から「ペルシア湾(Persian Gulf)」が正式名称として認められている。

結びに替えて

 筆者は1970年代の二度のオイルショックの間、外務省に入省し、中近東二課に配属されて、それから中東に赴任した。クウェート大使館を拠点に、バーレーン、カタールとUAEの4カ所の大使館に初代のオイルアタッシェ(書記官)として在勤した。当時レバノン・ベイルートが中東の石油情報センターであったが、内乱のため機能停止したため、発展著しい産油国のクウェートが期待された。

 筆者は民間の石油元売り・精製団体の石油連盟からの派遣だったので、天下りならぬ「天上がりの第一号」と呼ばれた。予期せぬオイルショックのため、カタールやUAEにおいて臨時の大使館で準備中だったので、兼務だった。

 クウェートから国境を越えたサウジアラビア東部には日本のアラビア石油のカフジ鉱業所があり、日本人学校もあって「日の丸」原油の時代を謳歌した。しかし残念ながら2000年代に入り中立地帯の利権を失った。石油公団も廃止となり追い打ちをかけた。今でも思い出すと寂しく、かつ惜しい。

 1970年代の世界を顧みると、OPECの誕生でオイルパワーはイランからサウジアラビアに移行する時期であった。中東覇権の象徴である「スエズ以東」戦略は英国から米国にバトンタッチする時期と重なったのは偶然ではなかった。

 クウェートなど4カ国はいずれも英国の保護国から1960年代以降、それぞれ独立したばかりだ。海を越えれば大国のイランである。イスラム・シーア派という宗教面でのちがいに加えて、アラブとは歴史文化・民族風土などにおいてなにかと異質である。その隔たりは現在のイラン・イスラム共和国のダイナミズムを見て、改めて理解するところである。

(なお、本稿は「ホルムズ海峡問題の核心とはなにか」について、早稲田大学ネオ・ロジスティクス共同研究会発行の「グローバル・サプライチェーンロジスティクス」(2017年1月、白桃書房、「第15章:政治的リスク、地政学的問題」から一部取り込みました)

(了)


<プロフィール>
澁谷祐
(しぶたに・ゆう)
コンサルティング・ディレクター、エナジー・ジオポリティクス。主な職歴:早稲田大学資源戦略研究所・主任研究員、同大学アジア太平洋研究センター・特別研究員、外務省・在中東大使館の書記官・オイルアタッシェ、ジェトロ・ロンドンセンター・資源部長、北極石油(株)調査役など。慶応義塾大学卒。専門分野:エネルギー地政学。主な著書(共著):「日中印の真価を問う」「アジア経済発展のアキレス腱」。1942年生まれ。趣味:週末テニス。

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