(一社)アジア・インスティチュート
理事長 エマニュエル・パストリッチ
問われるのは「組織創設」ではなく
情報の公共性
政府のインテリジェンス機能の司令塔となる「国家情報会議」の設置法案が、衆議院を通過した。同法案では、国家情報会議の事務局として内閣官房に「国家情報局」を置き、内閣情報官および内閣情報調査室を発展的に解消することが想定されている。これは、日本が独自の情報収集・分析能力を強化する重要な契機となり得る。
ただし、そこで問われるべきは、単に新しい組織をつくることではない。誰が、何の目的で情報を集めるのか。その情報はどのように分析され、政策決定に反映されるのか。そして、情報機関が権力や特定勢力に悪用されることを、いかに防ぐのか。これらを正面から検討しなければならない。
CIA型モデルを超える
日本独自の情報分析へ
米国の中央情報局(CIA)は、高度な情報収集能力を有しているとされる。しかし、その能力が巨大資本や特定の政治的利益に利用され、脅威を防ぐどころか、かえって問題を生み出してきた面もある。米国の制度的衰退を見れば、日本が本格的に独自の情報分析能力をもつことは不可欠だ。日本の情報局がCIAの二の舞いになるのではなく、より科学的で、冷静で、公共性に根ざした情報分析の仕組みを築くことを、私は米国人として強く願っている。
今回の制度改革は、扇情的な報道の題材として消費されるべきものではない。国家安全保障の根幹に関わる課題として、大局的に検討されるべきだ。将来的に設立される情報機関が、立法者と国民に対して、信頼に足る正確な情報を提供する機関として機能するように、現時点から徹底的な議論が必要だ。
いまやインターネット空間では、偽情報、誤情報、歪曲された情報が日々大量に流通している。政策の安定性を確保し、政府関係者が扇情的なメディア報道に過度に依存することを避けるためにも、より正確で客観的な情報源が必要だ。
この点で見過ごせないのは、日本の企業人や公務員が長年、重要な情報源として依拠してきた米国主要紙、とくに『ニューヨーク・タイムズ』の報道品質にも、深刻な揺らぎが見られることだ。これらの米国メディアは、事実上、日本にとっても重要な対米情報源となってきた。しかし、そこで流通する情報に偏りや歪みが含まれていれば、それは日本の政策判断や世論形成にも影響をおよぼしかねない。
たとえば、米国で発生したトランプ氏暗殺未遂事件のような重大事件についても、米国主要紙の報道を日本の新聞がそのまま受け取り、翻訳・紹介する傾向がある。日本の中央省庁や大企業で実務上の意思決定を担う課長・部長層にとって、朝刊に掲載される米国発の記事は、現実には極めて重要な情報源となっている。言い換えれば、日本の新聞が米国主要紙の記事を翻訳・要約して伝える仕組みそのものが、日本における一種の「情報機関」のような役割をはたしてきたのである。この現実を直視しなければならない。日本が独自の情報分析能力をもたないまま、海外主要紙の報道に過度に依存し続ければ、米国側の認識の歪みや政治的偏向がそのまま日本の政策判断に流入することになる。
その意味でも日本は、海外メディアの報道を受け売りするのではなく、情報を多面的に検証し、自ら分析する力を官民双方で高めなければならない。日本独自のインテリジェンスとは、まさにそのための基盤にほかならない。
この容易ではないインテリジェンス改革を成功させるため、以下でいくつかの原則を示したい。
技術偏重を避け、
人間の洞察力を中核に置け
第一に、最高水準の人材が、目先の政治的利益ではなく、現実の課題に向き合わなければならない。米国は9・11テロ以降、情報分野に莫大な資金を投じた。その結果、技術面では大きな発展を遂げたように見えたが、ほどなく情報分析の質は低下した。情報分析の核心である「人間」が軽視されたからだ。
政界の関心を集めたのは、数十億ドル規模のプロジェクトに投入されるコンピューターや人工衛星だった。もちろん、コンピューター技術は重要だ。しかし、日本はコンピューターが人間の判断を支配する状況を放置してはならない。日本の将来を深く考え、長期的視点から分析できる情報分析官こそ、最も貴重な存在だ。
第二に、経済的・技術的変化が日本をどのように変容させるのかを、歴史的洞察に基づいて読み解ける分析官が必要である。単にデータを処理するだけでなく、世界の動向に意味ある洞察を与えられる人材を育てなければならない。
そのためには、人文学、文学、歴史、哲学に対するたしかな知識が不可欠である。有用な情報とは、単なるデータの集積ではなく、意味をもつ情報である。AI技術の急速な発展は、社会の本質を変えつつある。従って、静的なモデルに依存するのではなく、未来学的な視点をもっと導入する必要がある。その成功のためには、歴史観と冷静な判断力が絶対に欠かせない。
満鉄調査部に見る
日本型インテリジェンスの源流
第三に、外国由来の情報機関モデルをそのまま輸入するのではなく、日本自身の豊かな歴史的経験を生かすべきである。徳川期、明治期、昭和期の日本には、長期的な政治・経済分析を担ったさまざまな機構や知的蓄積があった。それらの先例を、改めて検討すべきだ。
「インテリジェンス」という言葉は、多くの日本人にとってまだ馴染みが薄い。しかし、日本には古くから独自のインテリジェンスの伝統がある。とくに注目すべきなのが満鉄調査部である。
満鉄調査部は、単なる情報分析機関ではなかった。多様な専門家が集まるシンクタンクとして、国内外の政治、経済、社会を総合的に把握し、国家の長期的発展に向けた計画や独創的な戦略を構想した。満鉄の伝統は、反テロや治安対策だけに限られるものではない。広い視野をもつ人物を生み出した点にこそ、その意義がある。
たとえば宮崎正義(1893~1954)は、ロシア経済の専門家であると同時に、満鉄経済調査会の創設にも関わった人物である。彼は欧米の市場経済を踏まえつつ、ソ連の五カ年計画を参考に、戦後日本の奇跡的な復興を可能にした統制経済体制を準備した。彼は戦後、日本経済復興協会の常務理事に就任し、その満鉄時代に培った知見を生かして戦後日本の新しい経済戦略を提供した。
第四に、他国の統治、政治、経済の仕組みが、今後も従来通り機能し続けると想定してはならない。政策決定過程は、世界各地で急速に変化している。日本の情報モデルは、変化を後追いするのではなく、先取りして予測する仕組みをもたなければならない。そのためには、各国の近現代史に対する深い理解も必要だ。
第五に、情報活動の核心は、機密情報の入手そのものではない。世界各地で起きている出来事を、創造的かつ先見性のある方法で解釈し、持続的に予測することにある。今後、その重要性はますます高まるだろう。
(つづく)
<PROFILE>
エマニュエル・パストリッチ
1964年生まれ。アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビル出身。イェール大学卒業、東京大学大学院修士課程修了(比較文学比較文化専攻)、ハーバード大学博士。イリノイ大学、ジョージワシントン大学、韓国・慶熙大学などで勤務。韓国で2007年にアジア・インスティチュートを創立(現・理事長)。20年の米大統領選に無所属での立候補を宣言したほか、24年の選挙でも緑の党から立候補を試みた。23年に活動の拠点を東京に移し、アメリカ政治体制の変革や日米同盟の改革を訴えている。英語、日本語、韓国語、中国語での著書多数。『沈没してゆくアメリカ号を彼岸から見て』(論創社、25年)、『USAを盗んだ男—トランプ、そして腐敗を極める輩たち』(論創社、26年)。








