【異色の芸術家・中島氏(60)】アトリエメモランダム「バルザックに共感する日々」

劇団エーテル主宰 中島淳一

 まさか、自分がこんなにも長時間、原稿に向かう人間になるとは思ってもみなかった。

 昔の私は、どちらかといえば「書く人」ではなく「描く人」だった。生活の中心には絵があった。朝になればアトリエに入り、キャンバスを前に立ち、夕方になれば筆を置く。もちろん、文章も書いていた。劇団を主宰していたから台本も必要だったし、小説もエッセイも断続的には書いてきた。しかし、せいぜい1日に5~6時間程度である。それ以上は頭が疲れ、身体が拒絶した。

 ところが、ここ2カ月ほど、どうも様子がおかしい。気がつくと、1日14時間ほど原稿を書いているのである。

 朝起きる。書く。少し食べる。書く。疲れて横になる。起きる。書く。夜になってもまだ書いている。寝る直前まで頭のなかには登場人物や文章の断片が浮かんでいる。我ながら、少し異常だと思う。そして、ふと頭に浮かんだのが、あの男である。オノレ・ド・バルザック。

 19世紀フランス文学の怪物。『人間喜劇』を書き上げた、とてつもない仕事量の作家である。バルザックは夕方6時に眠り、真夜中の12時に起床し、そこから翌日の午後4時頃まで書き続けたという。1日16時間。常識を超えた執筆生活である。

 私はそこまではいかない。しかし、最近の自分を見ていると、どこか奇妙な共感を覚えるのである。まるで憑依されたように、書いてしまう。いや、正確には「書かされている」に近い。

 作家ではない人から見ると、不思議に思えるかもしれない。なぜそんなに書くのか、と。締め切りがあるわけでもない。誰かに命じられているわけでもない。それなのに、なぜ自分を追い込むような生活をするのか。しかし、小説というものは、そういう理屈では動かない。

 とくに長編小説は厄介である。一度世界が動き出すと、頭のなかから離れなくなる。登場人物が勝手に歩き出し、勝手に喋り始める。こちらが疲れて眠ろうとしても、向こうは眠ってくれない。「次を書いてくれ」「まだ終わっていない」「ここは違う」。そんな声が、頭の奥から聞こえてくる。少し大袈裟に聞こえるかもしれない。しかし、本当にそうなのである。

 絵は違う。絵を描いている時も集中する。しかし、夜になると案外眠れる。私の場合、昼間しか描かないからでもあるだろう。太陽の光のなかで描き、夕方には終える。すると、身体も自然に眠りへ向かう。睡眠は、健康の要である。年齢を重ねればなおさらだ。

 だが、小説は違う。昼も夜もない。風呂に入っていても考えている。食事をしていても考えている。夜中に突然、会話が浮かび、飛び起きてメモを書くこともある。小説というものは、どうやら人間の身体の自然なリズムを壊す力をもっているらしい。

 その意味では、バルザックがあれほどコーヒーに依存したのも少しわかる気がする。彼は濃いブラックコーヒーを5万杯以上飲んだと言われている。常軌を逸している。しかし、膨大な作品量を見ると、冗談とも思えない。

 バルザックは、眠気と戦いながら、人間社会そのものを書こうとしていた。貴族、銀行家、娼婦、政治家、詐欺師、野心家、金、名誉、嫉妬、恋愛、欲望、社会の裏側まで含め、人間の全体像を書き切ろうとした。おそらく、普通の体力では足りなかったのだろう。だが、その代償は大きかった。心臓を悪くし、51歳で亡くなっている。

 私はコーヒーをやめた。以前は飲んでいたが、最近は意識的に控えている。睡魔に襲われたら、素直に横になる。10分でも20分でもいい。仮眠を取る。身体を壊したら終わりだからである。

 頭ではよくわかっている。こんな生活を続ければ、いずれ身体に無理が来るだろう、と。だが、困ったことに、わかっていても書いてしまう。おそらく、創作というものは、合理性とは別の場所にある。

 吉川英治の話を思い出す。『宮本武蔵』を4年間、1日も休まず書き続けた作家である。40度の熱が出ても原稿に向かったという。常識的に考えれば、無理である。休んだ方がいいに決まっている。だが、彼は書いた。それが作家だったからである。

 私は、真の作家とは何かと考えるとき、時々この話を思い出す。才能の問題だけではない。むしろ執念なのではないか。続ける力。書き続ける力。それが最後には作品をつくるのではないか。

 思えば、私も個展前には似たような生活をしていた。美術館で個展を開く前、1日18時間近く描き続けたことがある。もちろん、永遠に続くわけではない。数カ月限定の狂気である。しかし、締め切りが近づくと、人は変わる。眠る時間も惜しくなる。もう少し描ける。もう少し良くなる。そう思ってしまう。

 芸術家とは、つくづく厄介な生き物だと思う。評価される保証などない。売れる保証もない。努力が報われる保証もない。それでも続ける。なぜなのか。最近、少し分かるようになった。結局、人は「やめられないこと」を仕事にするのだろう。

 私にとって、それが絵であり、小説だった。もし評価だけが目的なら、とっくにやめている。もし金だけが目的なら、もっと効率の良い道はいくらでもある。だが、創作には別の力がある。書かなければ落ち着かない。描かなければ気持ちが悪い。頭のなかが静かにならない。つまり、創作とは職業である前に、ある種の体質なのかもしれない。

 バルザックも、吉川英治も、そうだった。そして、私もまた、今日も原稿に向かっている。外は静かに夕暮れである。しかし、頭のなかではまだ誰かが続きを書いてくれと叫んでいるのである。

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