身体をもたない知能「AI」(1)AI前史~チューリングとウィーナー

福岡大学名誉教授 大嶋仁

哲学が向き合うべき「現代の怪物」

 今の時代、AIを抜きに考えられない。個人にせよ、企業にせよ、AIを使わずに生活することが、ほとんど必須のものとなってきている。そんなとき、多少とも哲学的な志向をもつ人間ならば、AIについてまとまった考えをもちたくなるのは当然であろう。だが、世の哲学者の多くは、従来の枠組みのなかでしかものを考えようとせず、喫緊の問題に取り組もうとしない。そういう彼らが時代から取り残されてしまうとしても、当然の結果であるように思われる。本当なら哲学者が真っ先にこの問題に取り組み、何らかの指針を示すべきなのだ。

 今ここにAIを論じるのは、少しでも世の中に役立ちたいからである。技術畑出身でもなく、科学者でもない私ではあるが、ごく当たり前の常識に基づいて、この「現代の怪物」を相手にしたく思っている。一体、AIとは何ものなのか。それは単なる情報処理システムなのか、否、それ以上のもので、人格さえも備えたものなのか。それは一部の人が危惧するように、人類を滅ぼすものなのか、それとも人類とともに共存できるものなのか。こうした問題を考えずにいられないのが現代なのである。

AIの「祖父」となる2人の数学者

 AIとは何かを明らかにするにあたって、まずその起源を明らかにしたい。そこで浮かび上がってくるのが、アラン・チューリングとノーバート・ウィーナーという2人の数学者である。前者は20世紀前半、とくにナチスとの戦争における暗号解読に貢献したイギリス人、後者は第二次世界大戦直後にサイバネティックスを考案したアメリカ人である。2人はしばしば「コンピューターの父」と目されてきたが、AIにとっては「祖父」のような存在といえるであろう。

 チューリングが「コンピューターの父」と目されてきた理由は、彼が巨大な計算を短時間でできる機械を構想したからである。チューリング・マシンと呼ばれるこの機械は、後にコンピューターと呼ばれるようになるが、もともとは「膨大な計算をする機械」であり、彼はその数学的原理を確立したのである。人によっては彼のことを「AIの父」と呼びさえするが、それは彼の確立した数学的原理がAIの基にもなっているからだ。

「電子計算機」という翻訳語

 なお、コンピューターはかつての日本においては「電子計算機」と訳されていたが、今ではコンピューターというカタカナ言葉にとって代わられている。「コンピューター」という語の本当の意味を知らない日本人にはかつての漢語訳のほうが適切だと思うのだが、記号論者の柳父章によれば、「意味不明の言葉のほうがありがたがられる」のが日本文化である。「仕方がない」とあきらめるべきか。

 そうはいかないというのも、コンピューターはあらゆる情報を「0」と「1」というたった2つの数で表し、その数値化された情報を電子を用いて処理する機械だからである。「電子計算機」という翻訳語のほうが、多少ともそれがどういうものかを連想させてくれる。こちらのほうが訳語としてよいに決まっている。

 さて、もう1人の数学者ウィーナーであるが、彼は量子力学の理論的基礎固めに貢献した数学者であるばかりでなく、「動物と機械に共通する制御と通信」のシステムをサイバネティックスという言葉で表した人としても有名である。生体の機能システムと機械の機能システムを「制御と通信」(コントロールとコミュニケーション)という極めて現代的な発想で捉え、生物学と物理学を一気に結びつけたところが驚異的である。

人間の脳をモデルとしたAI

 この稀有の天才は、我々がもっと知ってしかるべきなのだが、彼を専門にする科学史家でさえも、なかなかその全貌を捉えきれないようである。ウィーナーの伝記を書いたコンウェイとシーゲルマンは、彼のことを「情報化時代のダーク・ヒーロー」と呼んでいるが、この場合の「ダーク」は「暗黒」ではなく、「よく見えない」「脚光を浴びていない」という意味のようだ。

 AIの発展史にウィーナーの存在を位置づけるとしたら、彼がコンピューターを人間の脳と比較し、その共通領域を追求したことによってAIの創造に貢献したというのが適当であろう。実質上のAIの「育ての親」といわれるジェフリー・ヒントンは、「自分はできるだけ人間の脳に近い知能を開発しようとしてきた」と言っているが、この発想こそウィーナーから譲り受けたものなのである。

 チューリングに話を戻すと、彼が「計算できる世界」と「計算できない世界」を峻別したことは見逃せない。いかに優れた「計算機」でも限界があることを、彼は初めから見定めていたのである。彼は数理生物学にも手をひろげ、生命現象の数学的説明をも探索したが、だからといって、彼を「数理万能主義者」と見ることはできない。むしろ、その逆であったというべきなのである。

AIの基礎と計算の限界

 同じことはウィーナーについてもいえるのであって、彼の場合は自然と生命への崇敬の念を基に、ヒンズー教を最高の宗教とするという神秘的な側面があった。晩年の彼が自身の研究成果を軍事的に用いたがるアメリカ政府および軍組織と一線を画したことは、案外知られていない。彼はそういうわけで、科学史家からもしばしば敬遠されてきた。

 以上、2人の数学の巨人を通じてAIの起源に迫ってみたが、そこで明らかになったのは、AIが数学的原理、とくに0と1という2つの数のみで構築されたコンピューター原理と同じ原理を基礎にしているということ。また、AIの発展が人間の脳をモデルにしてきたということである。この2点を押さえておけば、AIの何たるかが理解できるようになるのではないかと思う。

(つづく)

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