「元木昌彦」の検索結果
2019年7月16日 15:34
7月9日、ジャニーズ王国を一代で築いたジャニー喜多川が亡くなった。享年87。翌日のスポーツ紙は全紙、一面全部を使って賛辞を贈り、彼の死を悼んだ。同じ日の朝日新聞も一面で彼の死を大きく報じ、第二社会面でもジャニー喜多川の「評伝」を掲載した。
2019年7月9日 13:00
編集部の床の上に鮮血が小山のように盛り上がっていた。朝、10時を少し過ぎた頃、やくざ風の2人組の男がずかずかと入って来て、アルバイトの女の子に、「編集長はいるか?」と聞いた。
2019年7月2日 15:41
幸福の科学事件に触れる前に、ビートたけしの率いる「たけし軍団」がフライデー編集部に乗り込んできた事件の「後日談」について書いておきたい。この事件をきっかけに、写真週刊誌の取材手法に批判が集まり、部数が激減したことは前に書いた。野間惟道社長(当時)がこう表明した。
2019年6月25日 16:02
フライデー編集長は森岩弘。雑誌全体の流れを掴むのには進行係がいいだろうといわれた。まあそうだろうなと了解した。進行表をつくり、毎朝、各担当者が間違いなく入稿したかを確認して、印刷所に送る仕事である。
2019年6月18日 15:39
講談社はオーナー企業である。上場はしていない。小学館、新潮社もそうだが、菊池寛がつくった文藝春秋はそうではない。したがって派閥ができる。オーナー企業は、社長にはなれないのだから、派閥はできないが寵愛人事や発作的人事がまかり通ることがある。
2019年6月11日 09:46
今回書くのはカネにまつわる話だが、決して告発しようというのではない。いかに講談社という会社が今とは違って、すべてにおいておおらかだったかを示す証左として書いておこうと思ったのだ。私など到底敵わない編集力や人間力を持った先輩たちがいた。筆頭は牧野武朗であろう。
2019年6月4日 09:29
中西ミツ子は私にこういった。「今の心境ですか?私の人生だから、やらないで後悔するよりも、やって後悔したかった。私も必死だったし、宇野さんも必死だった。計算なんかできなかった。結果は、私にとってもプラスにならなかったけど、あの時やった、そのことに意味があると思っています」
2019年5月29日 16:49
昭和が終わった日のことはよく覚えている。1月7日、土曜日。私は地下鉄東西線「落合」駅から中山競馬場へ行こうとしていた。駅へ降りる前に念のためラジオをつけた。君が代が流れてきた。競馬は中止になった。
2019年5月21日 15:17
講談社入社以来、平成13年(2001年)に子会社にすっ飛ばされるまで、銀座のクラブや新宿のゴールデン街を含めて、呑み代とタクシー代は一番使った。
2016年10月19日 10:41
自らの生前を偲ぶ元木昌彦氏(株)出版人(本社:東京都千代田区、今井照容社長)はきのう(18日)、(一社)日本インターネッ…
2016年5月20日 14:22
講演するマーティン・ファクラー氏(一社)日本インターネット報道協会(代表理事:元木昌彦)は19日、協会加盟社を対象にした…





