2024年05月03日( 金 )

日本の未来を変えるか!数々の社会事業を立ち上げ(前)

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NPO法人創造支援工房フェイス 代表理事 池本 修悟 氏

 NPO法人創造支援工房フェイス代表理事・池本修悟氏は、大学時代からNPO(非営利団体)の事業サポートや社会活動を行う人たちのネットワーク化などさまざまな社会事業に取り組んできた。東日本大震災では、762ものNPO団体が参画した東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)の立ち上げにかかわる。2016年には(公財)日本ユースリーダー協会(会長:三村明夫氏)が主催する若者力大賞のユースリーダー支援賞を受賞した。池本氏が自らの言葉で社会事業にかける思いを語る。

NPO法人創造支援工房フェイス 代表理事 池本 修悟 氏

寝たきりの祖父、福祉に関心をもつ

 阪神淡路大震災当時、私は高校1年生でした。京都にある洛南高校に千里ニュータウンから通っており、最寄駅から御堂筋線に乗りJR新大阪駅で乗り換える際、西に行くと神戸や芦屋に行ってボランティアできるのにと思う日もありました。しかし被災地に足を運ぶことは当時ありませんでした。今考えると高校時代の私は頭でっかちで、問題意識をもっても行動に移せないタイプだったのだと思います。

 そんな私が社会課題に問題意識をもったのは母方の祖父が認知症になって病院で寝たきりになったことでした。小さいころから可愛がってもらった祖父が病院で暮らすことにどうすることもできませんでしたが、ある日帰宅するとなぜか自宅のソファーにパジャマを着た祖父が寝ていました。どうしたのかと母に尋ねると、病院を抜け出してパジャマのまま我が家までやってきたそうです。やはり病院ではなく家族と過ごしたいのだなと心から思いました。

 そのような経験から高校の先輩の山井和則氏が書いた『世界の高齢者福祉』『日本の高齢者福祉』や、後にNPO法人地域創造ネットワーク・ジャパンでお世話になる浅野史郎氏の『誰のための福祉か―走りながら考えた』を読むようになり、福祉に関心をもつようになりました。

 その後、ご縁で未来を先取りしインターネットやパソコンが各教室に完備した慶應義塾大学総合政策学部(SFC)に入学することになるのですが、受験を経ても福祉への問題意識は冷めず結果「インターネット×福祉」のフィールドを入学そうそう探すようになりました。

 1年生の秋には福祉施設にインターネットを導入する研究プロジェクトに加えてもらい、障害をもった方やそのご家族と直接出会う機会をもつようになりました。大学生活はバイトやサークルなどで忙しかったのですが、週1回高齢者の皆さまとゆっくり食事をいただく時間が本当にありがたかったですし、知的障害を持つ皆さまと過ごすことで自分の偏見を気づくことができました。

 一方で運営の大変さも端から見て感じることも多く少しずつマネジメントや制度にも関心が広がっていきました。電通総研『民間非営利組織NPOとは何か―社会サービスの新しいあり方』という本の影響も受け、社会資源をつなぐ中間支援活動の重要性に関心が向かうようになりました。

メディアリテラシーを学ぶ創造支援工房フェイス

 そのようなタイミングで通産省時代にNPO法案作成にもかかわった鈴木寛さんのゼミ(通称すずかんゼミ)に大学3年から所属することとなり鈴木寛さんのカバン持ちをしつつNPOの社会的な役割について問題意識をもつようになりました。

 私がゼミに在籍した1999年、2000年は就職氷河期真っただ中で、同期は就職活動に明け暮れていたのですが、私は鈴木寛さんが語った「これからの時代をつくるのはNPO」という言葉に影響を受け就職活動を行っていない友人や後輩を巻き込み、社会起業を考えるようになりました。

 2000年2月3日、鈴木寛さんの神戸の実家まで起業の相談に赴き、即座に「全面協力する」と言われ、4月1日にはメディアの現場からメディアリテラシーを学ぶ創造支援工房フェイスという団体を立ち上げました。

 同月16日には朝日新聞の論説委員だった山田厚史氏を講師に招きキックオフとなる第1回メディア寺子屋を開催(元木昌彦さんは当時『Web現代』の編集長をされていたのですがその年12月に講師としてお願いしたのが最初の出会いでした)。貯めていた貯金を敷金に充て湘南台駅近くのアパートの1室を借り24時間そこで作業を行える環境をつくりました。

 現在は下村健一さんに顧問をお願いし地方で数日間滞在しCMを作成する『メディアキャンプ』の開催や、半年間にコンテンツ制作を行うスクール活動『I-MAGE』を大学生が自主運営するかたちで続けています。

 一方で、2000年当時は「メディア寺子屋」を開催するだけでは生きていくことはできないこともあり、大学院に通いつつ、会社を設立したり、大学の研究所の研究員になったりするなど、多足の草鞋を履いて生きていく戦略をとりました。

 とくに鈴木寛さんの下で培ったカバン持ちの能力がほかの先生のカバン持ちにも生かすことができ、エコマネー提唱者の加藤敏春さん、文化人類学者の竹村真一さん、インターネットの父といわれる村井純さんには大変お世話になりました。

 2006年に結婚し、いまは2人の子どもを含めて一家4人で暮らしているのですが、多足の草鞋戦略は継続中で、経済的な基盤(月額の安定した収入)は常時3つ以上確保しつつ生活に困らないようにやりくりしています。

(つづく)

<プロフィール>
池本修悟(いけもと・しゅうご)

 大阪府豊中市出身、41歳。NPO法人創造支援工房フェイス代表理事。(一社)社会創発塾代表理事。(公社)ユニバーサル志縁センター専務理事。
 高校時代、阪神淡路大震災に際し、何もできない自分に歯がゆさを感じ、大学進学以降、NPOの事業サポートや社会活動を行う人たちのネットワーク化などさまざまな社会事業に取り組んできた。東日本大震災においては、762団体ものNPO団体が参画した東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)の立ち上げにかかわり、いざというときの底力と継続的な連携の難しさを思い知った。そこで緊急時だけでなく普段からセクターを超えて協働できる若者が集い学び合うコミュニティ「社会創発塾」をプロデュース。2016年には(公財)日本ユースリーダー協会(会長:三村明夫氏)が主催する若者力大賞のユースリーダー支援賞を受賞。

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