2024年04月25日( 木 )

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東京大学大学院情報学環教授 吉見 俊哉 氏

文科省は突然何を言いだすのだ、けしからん!

 ――昨年は「文系学部廃止」という文言が新聞紙上で躍り、また独り歩きし、世間を騒がせました。先生はこの一連の騒動を受けて、『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社新書)を著されています。その動機を教えていただけますか。

benkyou_img 吉見 2015年6月8日の文科省の通達「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」を受け、各メディアは「国が文系学部を廃止しようとしている」と報じ、大きな騒動となりました。どちらかと言うと、政府に批判的な朝日新聞、東京新聞だけでなく、産経新聞、読売新聞まで、あらゆる政治的な立場の新聞が一様に「文科省は突然に何を言いだすのだ、けしからん!」という文科省批判の記事を掲げていったのです。日本の新聞だけでなく、海外メディアまで文科省批判を行いました。

 この騒動は6月以降も拡がりを見せ、7月23日には、日本学術会議の幹事会は声明を出し、その中で、「人文・社会科学のみをことさら取り出して『組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換』を求めることには大きな疑問がある」と批判しています。また、9月9日には、産業界の中枢である経団連までが、「今回の通知は即戦力を有する人材を求める産業界の意向を受けたものであるとの見方があるが、産業界の求める人材像はその対極にある。(中略)地球的規模の課題を分野横断型の発想で解決できる人材が求められていることから、理工系専攻であっても、人文社会科学を含む幅広い分野の科目を学ぶことや、人文社会科学専攻であっても、先端技術に深い関心を持ち、理数系の基礎的知識を身につけることも必要である」という声明を出すに至りました。
 こうして文科省は、孤立無援で各界から批判の集中砲火を浴びることになりました。

私は一連の報道に対し2つの違和感を持ちました

 私は1990年代からの文科省の政策に問題がないとは全然思っていません。しかし、この一連の報道、またそれに続く学術会議や産業界、有識者の議論には、少なくとも2つの違和感を持ちました。そのことが、本書を書くに至った1つの動機です。と言うのも、一連の議論には多くのボタンの掛け違えというか、議論の前提に誤りがあり、そこを正しておかないと、議論は大学が抱える本質的問題の解決につながらないと思ったからです。

 1つ目は「本当に文科省は突然そのような通知を出したのだろうか?」という疑問です。2つ目は「文系学部廃止」反対の議論の中で、「文系は役に立たないけど価値がある」と言う有識者の発言には、文系に対する根本的な無理解があるのではないかという点です。

 文科省が突然、馬鹿げた通知を出したというのは事実認識として誤りです。多くの新聞記者が充分な調査もせず、表面的な理解で記事が書いていました。また、そうした新聞報道に乗って、議論された学者の先生方が多くいたことも残念に思っています。これを機会に文科省への「恨み」を晴らすといった人もいたかも知れません。

 時系列に考えてみます。今回、大論争となった「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」の通知は、2015年6月8日に出されました。しかし、それに先立つ5月27日の国立大学法人評価委員会には、この通知の素案がすでに提出されています。そればかりではなく、さらにさかのぼること約1年前の14年8月4日に国立大学法人評価委員会に出された資料「『国立大学法人の組織及び業務の見直しに関する視点』について(案)」にも、ほぼ同じ内容のことが書かれてありました。つまり約1年前に、全く同じ通知がされていたのです。しかし、この時は大学や有識者からの反論はありませんし、新聞、テレビなどメディアでの反論どころか、東京新聞を除きほとんど報道さえしていません。

1年前と比べて、政権批判の世論が高揚していた

 では、なぜ、文科省が1年前とほぼ同じ通知をしたにもかかわらず、今回は大騒動になってしまったのでしょうか。理由は比較的簡単です。14年と15年で政治状況が大きく変化したからです。15年の夏に、安倍政権は「集団的自衛権」を含む安保関連法案を国会で強行採決しました。さらに、大学に対して入学式・卒業式での日の丸掲揚と君が代斉唱求めた、下村文科大臣の復古主義的な行動も、世論の危機感をいっそう強めました。同じ時期、新国立競技場建設問題に関して、文科省などの不手際が次々と明らかになっています。通知が出たのは、これらの諸問題を受け、政府や文科省に対する不信が社会に広がったタイミングだったということになります。
 メディア側にとっては、通知の実質的内容が明らかになった1年前と比べ、政権批判の世論が大いに高揚していたことは、この問題を取り上げる動機を強めたと考えられます。

文系学部で学んだことは役に立たないという思い込み

 あえてこのようなことを申し上げるのは、この根はもっと深いところにあると考えているからです。それは、過去数十年の日本の大学政策は「文系学部で学んだことは役に立たない」という誤った思い込みの上に成り立ってきたのではないかと思うからです。

実際、2001年6月に出された「大学(国立大学)の構造改革の方針」(文科省)という文書に、「国立大学の再編・統合を大胆に進める」一環として、今回と似た通知がすでに出ていました。ですから、各メディアは、少なくともこの時点で、「大学の危機」を国民に訴え、幅広い議論の場をつくるべきだったのです。

(つづく)
【金木 亮憲】

<プロフィール>
yosimi吉見 俊哉(よしみ・しゅんや)
1957年、東京都生まれ。東京大学大学院情報学環教授。同大学副学長、大学総合教育センター長などを歴任。社会学、都市論、メディア論、文化研究を主な専攻としつつ、日本におけるカルチュラル・スタディーズの中心的な役割を果たす。主な著書に『都市のドラマトゥルギー ―東京・盛り場の社会史』『「声」の資本主義―電話・ラジオ・蓄音機の社会史』、『大学とは何か』、『夢の原子力』、『「文系学部廃止」の衝撃』他多数。

 
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