2024年04月19日( 金 )

参院予算委閉会中審査、本当の「火薬庫」は防衛省にあり

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 24日の衆院予算委に続き、25日は参院予算委で安倍晋三首相臨席のもと閉会中審査が行われた。質問に立った野党議員の矛先は、24日と同じく加計学園問題に向けられた。安倍首相は自らの答弁に「混同」があったことを認め、野党議員から「嘘つき!」と激しく追及されるなど、日ごろ安倍首相に批判的な有権者からすれば快哉を叫びたくなるような展開だっただろう。
 しかし、野党議員やマスコミ、さらに国民も、安倍首相を責めるポイントが違うのではないだろうか。現在この政権には、「お友達」「忖度」どころではない問題が持ち上がっている。
 南スーダンPKO日報隠ぺい問題だ。マスコミの報じ方、新聞紙面での扱い方などを見ていても、加計問題が主、日報問題はあくまで従に見える。しかし本質的な問題の重さでは、日報は加計の比ではない。

 ここ最近は加計学園問題と同じく「あったはずの書類がなかった」とか「稲田大臣は聞いていたのかどうか」という程度の話として報じられているかに見えるこの問題。防衛省の長である稲田朋美防衛大臣がいかに自衛隊幹部から信頼を得られていないかということも明らかになり、稲田氏の不適格ぶりも改めて露呈している。
 本稿では、別の角度から稲田氏と自衛隊について考えてみたい。つまり、今の自衛隊にはシビリアンコントロール(文民統制)という大原則が機能していないのではないか、ということだ。自衛隊のシビリアンコントロールとは、制服組(いわゆる武官。最高位は統合幕僚長。自衛隊の最高司令官である総理大臣、防衛大臣になることはできない)は、背広組(いわゆる文官、事務方。最高位は防衛事務次官)や文官である防衛大臣の指揮下に置かれなければいけない。つまり、軍やそれに準じる実力組織は文民の統制下になければいけない、という民主政治を守るための大原則である。

 今回の日報隠ぺい問題は、自衛隊の背広組の行動に端を発している。件の日報も、現地派遣部隊からは南スーダンでの状況を「戦闘」と記述した日報が上がってきたものの、背広組は情報開示請求に対して「日報は削除したため存在しない」と回答してもみ消しを図ったという状況だ。
 「背広組が制服組を統制する」という意味では、皮肉にもシビリアンコントロールが成立しているという言い方は可能かもしれないが、コントロールする側のシビリアン側がこのありさまでは話にならない。シビリアンコントロールは、「背広組が制服組を歪曲する」という意味ではないのだ。
 そもそもなぜ、背広組は隠ぺいに走ったのか。結局は、稲田朋美防衛大臣のガバナンスが省内におよんでいないことに端を発する。防衛族としての経験がないどころか、自衛隊の任務に対する知識や興味関心がどれほどあるかは疑問符がつくところだ。そんな稲田大臣が省内から信を得ていないからこそ、防衛省幹部が独断専行に走るのである

 リーク自体を「心ある職員による正義の一刺し」と見る向きもあろう。しかし今回のリーク元が防衛省内からだとすれば、「自衛隊、防衛省にとって不都合な大臣であれば、リークによってその立場をあやうくできる」という前例になりかねない。これでは戦前、軍部が内閣を脅迫し、政治を壟断(ろうだん。利益を独占すること)するに至った「現役武官大臣制」のように、軍部=自衛隊が政治に介入することを許しはしないか。背広組とて自衛隊の隊員であり、一般の公務員よりも厳格な身の処し方が求められる。
 実力組織である自衛隊が正しく制御されていないとすれば、これは戦後民主主義の重大な危機である。

 そしてなによりも、このような事態を引き起こした安倍首相の任命責任も強く問われるべきだ。北朝鮮によるミサイル発射が相次ぐなか、自衛隊幹部から信頼を得られていない防衛大臣を任に就かせた「自衛隊の最高司令官」である安倍総理。ことは内閣の浮沈どころではなく、我が国の安全保障や国民の生命財産の安全にかかわる大問題である。
 このような防衛大臣と、それを容認しつづける総理大臣。双方とも、一刻も早い退場が求められる。

【深水 央】

 

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