2024年05月04日( 土 )

【弔辞】業界発展に尽くした新内三千秋氏((株)筑紫工業会長)の逝去を惜しむ

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家族思い、社員思い、お客思いの人格者

新内 三千秋 氏

 (株)筑紫工業(福岡県筑紫郡那珂川町)会長であり、創業者であった新内三千秋(みちあき)氏は闘病生活を送っておられたが、ついに逝去された。1932年3月24日生まれの故人は、当年とって85歳であった。故人の人柄に敬服していた関係者多数が参列するなか、ユウベル積善社にて1月22日通夜、23日合同葬がしめやかに行われた。

 新内三千秋氏は鹿児島県出身で、上福して1973年7月に同社を設立された。故人を一言でいえば「家族思い、社員思い、お客思いの人格者」であった。家族思いであったからこそ長男一秋氏が社長、次男弘幸氏が専務として事業継承がスムーズに進んだ。社員思いであったからこそ人員確保に悩むことがなかった。得意先も長年、安定しているのである。

 筆者も非常にお世話になった。1975年6月からのことであった。建具業界、建設業界のことを事細かに教えて頂いたことを、今でも深く感謝している。他人さまへの気配りも故人の人徳の表れである。お世話になった誰でもが慕うようになったものだ。現在も筆者は「建設業界を教えて頂いた先生」として尊敬している。

商品開発専念で業界の地位向上に貢献する

 故新内三千秋氏の経営手法の根幹は『人の身になった商品つくり・誠実と技術』であったが、厳しい経営局面に直面したこともあった。建具業界は住宅の洋風化で斜陽の道をたどる時期のことだ。その時代趨勢のなかでも、故人は(1)「建具は納まって当たり前」=それ以上のものをつくり納める(2)造作材を作っている現場で気づく納まり具合の提案(3)建具という商品、意匠、機能を追求するという厳しい現場主義と商品開発の研究を貫くことを信条にしてきた。

 「建具屋は住まいの提案者」という信念のもとに、熱心な研究の成果としてさまざまな新商品を世に送りだしてきた。その最たるものがシックハウス症候群対策内装材棚板『桧の香』であった。これは相当なヒット商品となった。また同社はISO9001:2000年版の資格を取ったが、これは業界では先駆け的役割をはたした。

組合の立ち上げの功労者

 故人の商品開発への熱意は単に自社の繁栄だけが目的ではない。『業界の地位向上のため』という動機もあった。それまで建具業界には正式な業界団体が無かった。「これでは世間様から正当な評価を受けることができない。正式の業界団体を結成しよう」という使命感が燃えてきたのだろう。

 そこで故人が立ち上げたのが福岡県建具・木工協同組合である。これが全国組織=全国建具組合連合会につながるのである。もちろん、立ち上げた組合の初代会長には故人が就いたのはいうまでもないことだ。

 公私にわたって無私の精神で尽くされた新内三千秋さん!!安らかにお休みください。

合掌  

【児玉 直】

 

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