2024年04月27日( 土 )

3町にまたがるボタ山を再開発 「産業遺産跡地」を「未来環境都市」へ(前)

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 糟屋郡志免町の中心部で圧倒的な存在感を感じさせる「竪坑櫓(たてこうやぐら)」のすぐ近くに位置し、志免・粕屋・須恵の3町にまたがるボタ山。かつて日本の近代化を支えた炭鉱の産業遺構ではあるが、閉山後には放置され、長らく手付かずの状態が続いていた。それが今新たに、最先端の環境モデル地区へと再生・整備されようとしている。

炭鉱の歴史を今に伝える貴重な産業遺構

国の重要文化財にも指定された「志免鉱業所竪坑櫓」

 福岡市の東部に位置する志免町は、市内都心部に隣接する立地の良さや適度に安い地価からベッドタウンとしての発展を遂げ、福岡都市圏のなかでもとくに勢いのある自治体の1つだ。その中心部に屹立する「志免鉱業所竪坑櫓」(以下、竪坑櫓)は、上層部が膨らんだ独特の形状をした高さ約48mの鉄筋コンクリート製の構造物で、同町のシンボルともいえるもの。この志免の竪坑櫓と同形のもので、終戦前に建造されて現存するのは世界でもほかに2例のみという非常に貴重な産業遺構であり、威風堂々としたその姿は、この地域がかつて石炭で発展したことを今に伝えている。

 「糟屋炭田」の炭鉱の1つである「志免鉱業所」(志免炭鉱)は、1889(明治22)年に当時の海軍艦艇の燃料であった石炭の確保を目的として、海軍によって開発されたのが始まり。現・須恵町での採掘から始まり、1906年には現・志免町でも採炭が開始された。その後、太平洋戦争が始まると、新たに地下深くから石炭を掘る垂直の坑道が計画され、海軍が竪坑櫓の建設に着手。43(昭和18)年に完成した竪坑櫓は、当時は“東洋一”とも称された。終戦を迎えた後は、戦後の復興を支え、蒸気機関車の燃料などに使うため、国鉄に移管。しばらくは増産傾向が続いていたが、エネルギーが石炭から石油に転換していくなかで、64年に閉山。75年の歴史に幕を閉じた。なお、この志免炭鉱は、採掘開始から閉山まで一貫して国営であった、日本国内唯一の炭鉱でもある。

 閉山後、鉱業所は旧国鉄所有のまま、竪坑櫓は石炭合理化事業団に譲渡されていたが、80年に(独)新エネルギー・産業技術総合開発機構に譲渡。だが竪坑櫓は、長らく戦時中のイメージが付きまとう“負の遺産”的な扱いを受けながら放置され、取り壊しも検討されていた。最終的に取り壊しにまで至らなかったのは、単に国も自治体も取り壊し費用が捻出できなかったという消極的な理由であり、不幸中の幸いというしかない。

 その後、次第に竪坑櫓の産業遺構としての価値が認められ、2006年には志免町の所有となり、07年7月に国の登録有形文化財に登録された後、09年12月には国の重要文化財にも指定された。ただし残念ながら、完成が昭和期のために、15年に世界遺産として登録された「明治日本の産業革命遺産」の構成資産からは外れている。

開発めぐる協議重ねるも、手付かずのボタ山

 その竪坑櫓は現在、志免町の総合福祉施設「シーメイト」の一角にあり、周囲は運動公園として整備・活用されている。

遺構の1つ「第八坑連卸坑口」

志免町の総合福祉施設「シーメイト」

 その北側、県道91号を挟んですぐの場所に、志免・須恵・粕屋の3町にまたがった、木々が生い茂った小高い山「西原硬山」がある。角度によっては漢字の「山」のように3つの峰が並んで見えるその山は、実は自然の産物ではなく、石炭を掘り上げたときに出た土(ボタ)を積み上げた“ボタ山”である。このボタ山も、もともとは旧国鉄の所有だったものだが、現在は志免・須恵・粕屋の3町での所有となっている。

 閉山後、ボタ山開発を鋭意促進していくために、80年には志免・須恵・粕屋の3町からなる「国鉄志免炭鉱ぼた山開発推進協議会」が設置。ボタ山の活用策をめぐって幾度も協議が重ねられ、これまでにも人工スキー場やゴルフ場、競馬場などの案が模索されてきた。だが、撤去に莫大な費用がかかることや、ボタ山に対しての3町の温度差などもあって、そのいずれも実現には至っていない。

 なお13年8月にはボタ山の土地を活用した「ボールパーク構想」として、志免町と粕屋町と須恵町の3町が連携して福岡ソフトバンクホークスのファーム(2・3軍)の本拠地の誘致に名乗りを上げたこともあった。この構想では土地を無償貸与する代わりに、造成費用はソフトバンクの負担とする計画で、造成後の13万m2のうち9万m2をファーム拠点に、残り4万m2をメガソーラー用地とするものであった。だが残念ながら、その後の1次審査であえなく落選。ファーム誘致の夢は露と消えた。

 現在のボタ山は、木々が生い茂り、傍目には自然の野山とほとんど変わらない。ただし、実際に山中に足を踏み入れてふと足元に目をやると、落ち葉の陰に隠れて真っ黒な“ボタ”がちらほら目につく。地元有志の会による手づくりの階段も整備されており、意外に急傾斜な登山道を登って山頂にたどり着くと、そこには志免・粕屋・須恵の3町を一望できる景色が広がる。すぐ眼下には特徴的な竪坑櫓の姿もあり、まさに絶景といっても過言ではない。新年の初日の出を拝める穴場スポットとしても、地元民からは秘かな人気を集めている。

(つづく)
【坂田 憲治】

 
(後)

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