2024年05月02日( 木 )

中内ダイエーなくして、福岡のここまでの発展はあったのか!(前)

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 1988年9月、中内功・(株)ダイエー代表取締役社長は南海電鉄からプロ野球球団の南海ホークスを買収すると発表、本拠地を「福岡に球団を!」という市民の熱望に応え、福岡に置くことを決めた。併せて、福岡にダイエーの本業であるショッピングセンターを中心に、球場やホテルを備えた新しい顔、ホークスタウンをつくるために、総事業費1,780億円の金を投資した。今福岡の経済界で事業家・革命家としての中内功氏をもう一度見直そうとする動きがある。中内功氏なくしては、現在の『福岡ソフトバンクホークス』、『ヒルトン福岡シーホーク』、『福岡ヤフオクドーム』は影もかたちもなかったからにほかならない。
 戦後という時代が生んだ寵児であり、巨象であった中内功氏の全容を一度に捉えることは難しい。さまざまな角度から光をあてることが必要である。元ダイエー福岡3点事業(球団、ドーム、ホテル)の専務取締役の大西義威氏に話を聞いた。

元ダイエー福岡3点事業専務取締役 大西 義威 氏

凄い人だというのが中内に対する最初の印象です

 ――お忙しい中、お時間を賜りありがとうございます。本日は、中内功氏と福岡3点事業について色々とお聞きしたいと思います。まずは大西さんと中内功氏との出会いから教えていただけますか。

 大西義威氏(以下、大西) 私は中内の近くにいましたが側近ではありません。側近といわれる方は、私より一世代上の方です。私はダイエーが急成長していた1973年に入社しました。入社後、店舗を3年経験して、本社総合企画室に勤務していた時、慶応ビジネススクール(MBA)への国内留学を許可されました。その面接試験の時に初めて中内と1対1で対峙しました。当時のダイエーの社内留学制度は事前に大学院を受験させ、合格者の中から中内が面接、派遣先を決めていました。

 面接当日の順番は最後の方でした。先に面接を終わった者は口々に「楽勝」と言って部屋を出てきました。私は安心して入室しました。面接は事前に提出していた小論文について行われました。私の小論文のテーマは当時としては最先端の「POS(販売時点情報管理)システムの導入」に関するものでした。中内は新しいPOSという言葉に興味をもったのか、「何の役に立つのか」「どのように導入していくのか」など質問が矢継ぎ早に飛んできました。1つ質問に答えると、反論が10飛んでくる有様でした。余りの勢いに一瞬答えに詰まってしまったことを思い出します。しかも、その質問、反論がすべて、本質を突くものだったのです。「凄い人だ」というのが中内に対する私の最初の印象です。

総事業費4,900億円で事業計画書を書きました

 ――MBAを取得された後、大西さんは本社事業企画室、経営企画、社長室副室長(業務部門)など本社の経営中枢部門を歩まれます。福岡3点事業に関しても、事業計画書を書いたのは大西さんと聞いています。当初の事業計画の総事業費は4,900億円だったというのは本当ですか。

 大西 私は福岡3点事業に関しては、途中直接的な所属は離れますが、企画・計画段階から、ダイエーが事業を離れるまで、一貫して見続けた数少ない人間の1人だと思います。

 福岡3点事業は、私が事業企画本部時代の1990年に土地を取得(アジア太平洋博覧会「よかトピア」の跡地)、コンサルタントの協力のもと、総事業費4,900億円で事業計画書を書きました。総事業費4,900億円の内訳は、「福岡ドーム」「ホテル」そして、ドームの反対側につくる計画をしていた「巨大ドーム」です。巨大ドームは、全天候型のショッピングセンター、動物園、植物園、博物館、映画館などで構成されていました。言わば、全天候型の街のようなイメージでした。現在も見られない、中内独特の凄い発想でした。
 結果的に、総事業費は、一期工事(「福岡ドーム」)と二期工事(「ホテル」)で約1,500億円、空き地開発(「ショッピングモール」)に280億円の1,780億円となりました。

アジアの玄関としての福岡に関心を持っていた

 ――1988年9月に中内功氏は南海電鉄からプロ野球球団の南海ホークスを買収すると発表、本拠地を福岡に置くことを決めます。当時、ダイエーに買ってもらいたい球団は複数あったとも聞いています。別の球団を買っていたら、本拠地は福岡でなかった可能性もあったわけですか。

 大西 私も候補が複数あったところまでは聞いています。しかし、本拠地をどこにするのか云々に関して詳細は存じ上げません。ただし、当時、往年の「西鉄ライオンズ」黄金時代の再現を福岡市民が強く望んでいたので、それに中内が応えようとしたことはたしかです。みんながみんな進出を歓迎してくれるところ、地元の熱意のあるところを選んだのだと思います。

 さらにいえば、福岡には平安時代に設置された外交および海外交易の施設「鴻臚館」があります。中内はアジアの玄関口としての福岡に強く関心を持っていました。だからこそ、球団の本拠地を福岡に決めると同時に、福岡にダイエーの本業であるショッピングセンターを中心に球場やホテルを備えた新しい顔「ホークスタウン」をつくることを思い立ったわけです。流通科学大学の資料を見ていただくとよくわかるのですが、中内は「海外流通調査隊」などで、早い段階に、自ら積極的に、シルクロード、中国、東南アジアなどに出かけています。

(つづく)
【聞き手・文:金木 亮憲】

 
(後)

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