2024年04月19日( 金 )

ビジネスで大切なのは伝統と革新、初代から受け継がれる創作の精神(後)

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(株)石村萬盛堂

生活提案型のマーチャンダイジング

 太平洋戦争で事業を一時中断したが、石村萬盛堂は終戦直後の1945年、2代目・石村善右氏により再興した。砂糖がなかなか手に入らないなか、ハチミツで甘味をつけるなどして、戦地からの引き揚げ者を温かく迎え入れた。善右氏は、江戸後期に庶民から親しまれていた、日本最古の禅寺「聖福寺」の仙厓和尚をモチーフとした「仙厓せんべい これくふて」「仙厓さんもなか」を考案。ともに同社の新たな代表的商品となった。

 「ホワイトデー」を考案したのは、洋菓子ブランド「ボンサンク」を立ち上げた3代目・石村僐悟氏だ。「1958年ごろから流行していたバレンタインデ――。男性からのお返しがないのはなぜ?」という少女漫画にヒントを得た僐悟氏は、「チョコレートのお返しにマシュマロを贈ろう」という「ホワイトデー(当時はマシュマロデー)」を考案。地元百貨店の岩田屋にもち込み、自社のマシュマロの企画販売を実施した。

 このアイデアが、まさにお返しの機会を求めていた市場の潜在ニーズを掘り当てた。翌年には東京の三越に進出し、ご存知の通り、全国へと広まっていったのである。社内外で講演の機会が多い僐悟氏は、江戸時代の発明家・平賀源内が考案した「土用の丑の日」になぞらえ、「生活提案型のマーチャンダイジング」の一例として話す。「菓子業はコミュニケーション業」という僐悟氏。お菓子がコミュニケーションツールとなり、相互に感謝や愛情の気持ちを表現することができるようになったといえる。

 菓子業界全体をも変える「革新」を起こした同社は業容をさらに拡大。現在、福岡県を中心に、佐賀、長崎、熊本、大分、鹿児島に68店舗を展開。店舗形態は、和菓子を販売する「石村萬盛堂」のほか、洋菓子の「ボンサンク」、和洋菓子の複合店舗「お菓子の広場いしむら」の3つに分かれる。16年9月には、従来のロードサイド型店舗からコンセプトを一新し、和洋菓子から成る同社商品の世界観をコンセプト・見せ方から見直した新コンセプトショップ「イシムラトロア」を「イオンスタイル笹丘店」(福岡市中央区笹丘)に出店した。

「競争はするな 勉強をせよ」市場を創出する新ブランド

 初代・善太郎氏から代々進化を遂げてきた創作精神を、4代目として新たに受け継ぐのは17年7月に同社代表取締役社長に就任した石村善之亮氏だ。

 「やはり時代に合わせて、変化・対応をさせていくことが重要だと思います。仮に『鶴乃子』だけを売っていたなら、石村萬盛堂というブランドや当社の知名度、つまり会社としての『格』や『風格』のようなものは、ここまで大きくは広がってはいなかったと思います」(善之亮氏)。

 同年9月、九州大学の六本松キャンパス跡地にオープンした商業施設「六本松421」内に、初代の名を冠した新ブランド「善太郎商店」を出店した。「和菓子をより身近に楽しんでいただくこと」をコンセプトに、季節の素材や洋菓子の生地などを使ったオリジナル和菓子を販売する。ターゲットは、和菓子に馴染みが薄い若年世代である。まさに自ら市場をつくり出す『新たな挑戦』だ。

 「お菓子はひとたびヒット商品が出ると、一発逆転といいますか、野球にたとえるなら『9回裏2アウトで逆転満塁ホームラン』といったところがあり、ものすごく夢はありますね」と語る善之亮氏。企業理念の根本に掲げた「守破離」の考え方のもと、菓子の道を究めようとする同社の職人たちが、次々と新たなお菓子を創作していく。初代・善太郎氏が遺した「競争はするな 勉強をせよ」の言葉に現れるDNAは、創業から113年を迎えた現在もしっかりと息づいている。

(了)

<COMPANY INFORMATION>
代 表:石村 善之亮
所在地:福岡市博多区須崎町2-1
設 立:1949年2月
資本金:9,500万円
TEL:092-291-2225
URL:http://www.ishimura.co.jp

<プロフィール>
石村 僐悟(いしむら・ぜんご)
 3代目。現・代表取締役会長。「ホワイトデー」を発案。

<プロフィール>
石村 善之亮(いしむら・ぜんのすけ)
 公認会計士。2017年7月、4代目として代表取締役社長に就任。

 
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