2024年04月30日( 火 )

新たな競争のステージへ!デフレ経済の勝ち組『四強』(前)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 国内でも独自の業態として発達した100円ショップで、長らく、非上場を貫いてきた最大手、(株)大創産業がいよいよ上場へ向けて動き出したとされる。1980年代に誕生して以来、デフレ経済をエンジンとして急成長を遂げてきたが、ここにきてデフレ脱却の機運ととともに業界の競争条件も変化してきたと言われている。業界誕生から20年が経過し、消費者の飽き・慣れがみえてきた。国内市場の飽和を受けて、海外進出への動きも活発化しそうだ。また、ITを駆使した新たな販促、需要予測への対応など、新たな競争のステージがかたちづくられようとしている。

戦前から存在していた均一価格ショップ

 100円ショップというのは、いろいろな意味で異質のビジネスだ。業態のくくりでいうと、「バラエティストア」になるわけだが、そもそも、このバラエティストアというジャンル分けからして微妙だ。定義としては、食品を除く日用品を低価格で販売する業態となっているが、ディスカウントストア形態やコンセプトストアとよく似ており、実際、両者との定義は曖昧だ。

 また、バラエティストアは多店舗化が難しく、日本でも長らく本格的なバラエティストアは登場しなかった。これは、仕入れの多様性に対応しながら、多店舗化に耐える品ぞろえを確保しなければならないという相反する条件があったことが原因だ。

 100円ショップの歴史は意外と古く、戦前にはすでに「十銭均一」「1円均一」を売りに、生活雑貨などを期間限定で販売する露天市がたびたび開かれていた。その流れを受けて、スーパーマーケットの軒先などを循環販売する販売スタイルが受け継がれていったわけだが、非正規ルートを含むあらゆる仕入れ方法を駆使した放出価格で商品をそろえ、値切りにも対応するという独特の販売形態で、現在のディスカウントストアや100円ショップの源流になったと言われている。

 これらのビジネスは、メーカーの下請工場でつくり過ぎてしまった商品や、倒産した会社から在庫をまとめて買い上げるといった、いわゆる訳ありの商品を仕入れるなどして、驚くほど低価格で販売できる反面、仕入れが不安定で、ある程度のボリュームの商品を安定的に提供する必要があるチェーンストアにはなじまず、現在ではほとんど見かけなくなった。多くは店を閉めてしまったが、一部、業態を転換して生き残ったのが現在のディスカウントストアなどになっているわけだ。こうしたなかでも、バラエティストアとして発展する例はなかなか現れなかった。

 バラエティストアの元祖とされるのは、アメリカのウールワースで、食品を除く家庭用品をフルラインでそろえ、全商品の販売価格を5セントで統一した「5セントストア」という、いまの日本の100円ショップそっくりの業態をいまから100年前の20世紀初頭に開発。本格的な総合家庭用品チェーンとして躍進し、全米のほかヨーロッパにまで店舗を拡大したものの、第二次世界大戦後に起こったチェーンストアの発達に乗り遅れて衰退。紆余曲折したが、結局、バラエティストアは閉めてしまった。現在ではスポーツ用品などの専門店業態に転換している。バラエティストアは意外に難しい業態なのだ。

 そんな難しさの故か、いまや流通業の一角を担う存在になりながら、いまもってプレイヤーは数社に限られる。最大手の大創産業を始め、キャンドゥ、シルク、ワッツの『四強』で市場をほぼ独占している。独特の業態として発達し、今後も、新たなプレイヤーは現れそうにない。それでは現在、業界を形成している企業は、それぞれどのような背景をもっているのだろうか。

(つづく)
【太田 聡】

 
(中)

関連記事