2024年03月29日( 金 )

「解放の議席」は失われたのか~松本龍さんの死去を悼む

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

解放の父、松本治一郎の孫として

 元民主党衆院議員の松本龍さんが21日、肺がんで亡くなった。享年67。民主党の菅政権下で環境相や復興担当相などを務めた。おおらかで飾らない人柄で与野党問わず人脈は広く、23日の葬儀には国政関係者や県政関係者のほか、部落解放運動関係者ら約千人が参列した。

 松本龍さん(以下、龍さん)は1951年、福岡市生まれ。県立福岡高校から中央大学に進み、父である元参院議員松本英一氏の秘書などを経て90年から衆院議員を連続7期務めた。部落解放同盟では長く、(中央本部)副委員長を務めていた。
 祖父は、全国水平社時代から部落解放運動の中心人物として知られ、部落解放同盟の初代執行委員長だった「解放の父」松本治一郎。部落解放運動に生涯を捧げた治一郎は、家族に危害がおよぶことなどを危惧して生涯を独身で通し、兄の息子である英一氏を養子に迎えた。龍さんは英一氏の長男にあたる。

 残念なのは、龍さんが2012年に落選するきっかけになった東日本大震災被災地での発言が、それ以降、龍さんを語る際にどうしても枕詞のようについてまわるようになったことだ。それまで龍さんは、偉大な祖父の名をひけらかすこともせず、むしろ控えめな人物という評価が定着していたため、被災地での発言には「信じられない」と驚く人が多かった。あの発言をせざるをえない事情があったと龍さんをかばう声もあるが、最後までいっさい言い訳しなかったのも「龍さんらしい」(民進党関係者)のかもしれない。

解放の議席

 部落解放同盟の関係者は、国政から地方議会に至るまで多くの議席を得てきたが、「旧福岡1区」は解放同盟にとって特別の意味をもつ議席だった。治一郎から守り続けてきた「松本」の議席は、解放同盟関係者の間で「解放の議席」と呼ばれ、必勝区として、選挙の際には全国の解放同盟支部に檄が飛んだ。かつての被差別部落には、天皇と並んで松本治一郎の肖像が掲げられていた家もあり、とくに高齢の同盟員にとって「松本」の名は救世主と同等の響きを持っていた。差別され、虐げられる者にとって、松本家と解放同盟の存在が唯一の希望だった時代が、確かにあったのだ。

 長年に渡る激烈な解放運動の結果、解放同盟に代表される運動団体は一定の力をもつまでになった。団結の結果としての数(票)を誇示できるようにもなり、その力を取り込もうとする国家権力との駆け引きのなかでいつしか闘争は「洗練」され、高度に組織化されていった。
 もっともその結果、たとえば行政交渉において威力を発揮した「現場の迫力」が薄まったのは否めないだろう。日本刀を背負い、二度と戻らぬ覚悟で水杯を交わして行動隊となった元任侠の青年たちや、中央省庁の真ん前で煮炊きしながら陳情に座り込んだ「土方」のおばちゃんたち。そんな何も失う物のないがゆえの強さこそ、資本家や役人たちを後ずさりさせた恐怖の正体だったはずだが、彼ら・彼女らの熱や息遣いはすでに「伝説」として関係者の間で口伝されるだけになった。

再生、拡大せよ解放運動

 解放同盟は「外に対しては鉄の結束」を行動指針としてきたが、その実態は大小さまざまな県連、支部ごとが「一本独鈷(どっこ)」で並び立つ組織の、緩やかな連合体だ。近年は同盟員の減少や高齢化などで組織力が低下しているという分析もある。
 現在進行形の「差別事件」であるヘイトスピーチの現場で、カウンター(対抗運動)としての解放同盟の存在感が薄いのも、かつての「闘う解放同盟」を知る者からすればいささか物足りなく映る。

 「カウンター運動はまさに『反差別闘争』です。反差別運動の総本山である解放同盟は組織として鍛えられているため、本来であれば解放同盟こそが先頭に立って、身体を張ってヘイトスピーチを食い止めるべきだった。実際、カウンターの現場でも実戦慣れした解放同盟の登場を期待する声も多かったが、逆に組織としての規律が強すぎて、個人として参加する同盟員はいても組織として共闘することができなかった」(元解放同盟関係者)

 解放運動が広く国民の側に立つ存在として必要になるのは、むしろこれからではないか。ヘイトスピーチや、2016年に津久井やまゆり園で起きた障がい者大量殺傷事件、さらに最近では自民党・杉田水脈衆院議員の「(LGBTは)生産性がない」発言など、差別意識はなくなるどころか、むしろ多様な差別意識が刺激し合い、絡みあいながら増幅している。抑圧されているのはマイノリティーだけではない。非正規雇用の増加、生活保護バッシングなど、人がそれぞれに尊重されて生きる社会の実現は遠のいたようにさえ見える。

 「解放の議席」が失われてすでに6年が経った。龍さんの死について、被差別部落民をその枝の下で守り続けてきた大樹のごとき存在=「松本家」の役割が終わったとする解放同盟関係者もいる。その言葉からは、松本家を否定するというよりもむしろ、解放運動を前向きに再定義する胎動のようなものが感じられる。弱者のため、被抑圧者のための運動として解放運動を再生・拡大するために何が必要なのか、解放同盟内部で試行錯誤が続いているとすれば、ヘイトが蔓延する社会で一筋の光となるだろう。

 最後に、龍さんを悼みつつ、やはりこの言葉で送りたい。

 「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」

 合掌。
 

関連キーワード

関連記事