2024年04月25日( 木 )

時代の流れに乗れず、受注激減で事業停止(後)

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協和製版(株)

減収に歯止めかからず

 アナログからデジタルへの移行という業界全体の変革にともない受注が低迷し、2001年3月期にはついに売上高10億円の大台を割り込んだ。
 04年3月期には与信上から大口得意先であったデベロッパーとの取引を停止した結果、売上規模は8億円台まで落ち込んだ。ピーク時は180名ほどいた従業員だったが、同期には90名ほどまで減少していた。こうした売上高の落ち込みと利益の減少を食い止めるため同年には代表の長男である末松崇氏を営業統括本部長に据えて営業のてこ入れを図り、設計事務所・デザイン事務所をターゲットとしての営業活動に力を入れ、店舗周辺の人口構成・年齢層・店舗への導線などマーケティングリサーチを行い提案型の営業に転換。リサーチからコンサルティング・デザイン・印刷、そして広告までの一括受注体制の確立を目指すも、07年3月期に5億円を割り込み4億7,525万円の売上高まで落ち込んだ。

印刷物企画デザインへ

 崇氏は、同社取締役営業統括本部長を務める傍ら、09年9月、同社所在地で(株)デ・コンプを設立し、代表取締役に就任。その後、13年4月に同社名義であった福岡市中央区警固の本社物件を売却。同社およびデ・コンプともに現所在地の同市博多区神屋町に移転するとともに、本格的に印刷物企画デザインに業務内容を変更した。
 同社はその後も、売上高が減少を続け、直近の16年3月期には約1億3,000万円、17年3月期には約1億円まで落ち込んだ。近年は、少ないながらも製版を受注するほかデ・コンプが受注した仕事を同社が請けていたが、ここにきてまったく製版の仕事依頼がなくなったことで、今回の措置となった。
 「取扱高は徐々に減っていた。13年に警固の本社を売却した段階で出荷もなくなり、製版業の仕事は止めたと思っていた。大手に限らず中小も自社で機械を購入し内製化を進めていくなか、製版業専門で唯一残っていた会社だったのでは。製版業は利益幅が薄い」と関係者は指摘する。別の関係者は、「仕事の依頼は少しずつ減っていた。今年3月以降仕事の依頼がない。入金については遅れ気味だった」と話す。
 ピーク時には約16億9,000万円の売上高を計上していた同社。急激な時代の変化、デジタル化の波を受ける印刷業界では、内製化を進めるほか、リサーチからコンサルティング・デザイン・印刷までの一括受注体制への素早い転換などが生き残りを図るための課題となる。同社は、昔ながらのやり方から脱却できず、変化に対応することができなかった。

(了)
【内山 義之】

<COMPANY INFORMATION>
代 表:末松 幹生
所在地:福岡市博多区神屋町4-5
設 立:1958年3月
資本金:2,200万円
売上高:(17/3)約1億円

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