2024年04月16日( 火 )

【斎藤貴男氏寄稿】「人でなし」のイデオロギー・新自由主義 蘇る、社会ダーウィニズムの悪夢(6)

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ジャーナリスト 斎藤 貴男 氏

社会ダーウィニズムの恐怖

 新自由主義の横溢につれて、日本社会では人権も安全も人倫も、ことごとく破壊された。そうして定着し、階層間格差が拡大の一途をたどらされていく、あるいは帝国主義による海外侵略への奔流を、私はかねて「社会ダーウィニズム」であり、それはほとんど「新自由主義」と同義といってもよいほどだと論じてきた。社会ダーウィニズムというのはダーウィンの進化論を人間社会のあり方にそのまま適用し、高い地位にあったり裕福な人間は優れた人間なのだから優遇し、逆に地位が低かったり貧しい者は劣っているのだから排除、淘汰させていけば、人類全体が進化していくとする、悪魔のような“思想”である。19世紀英国の社会学者ハーバート・スペンサーが提唱し、当時の、とりわけ資本家による労働者の搾取が甚だしく、海外侵略に躍起だった欧米列強の権力者たちに歓喜を以て迎えられていた。

 現代の日本における新自由主義は、2000年代前半の小泉政権がその方向性をほぼ固めていたところに、11年、3・11東日本大震災および福島第二原発事故が発生し、そのショックに乗じた格好で、次のステージに歩を進め始めている。カナダの女性ジャーナリスト、ナオミ・クライン氏がハリケーン「カトリーナ」後のニューオーリンズ市の状況や、70年代南米チリでのピノチェト政権による暴挙などを描いた『ショック・ドクトリン―惨事便乗型資本主義の正体を暴く』(幾島幸子・村上由見子訳、岩波書店、2011年)のメカニズムが、そのまま当てはまる構図である。

 書かなければならないこと、記録しておかなければならないことはまだまだあるが、紙数には限界があるので、もう止める。繰り返すが、現代のこの国の社会に蔓延する諸問題のおおよそは、新自由主義に起因している。関心をもたれた読者には、拙著『機会不平等』(岩波現代文庫、16年)や前記『戦争のできる国へ』などの書籍を、ぜひお読みいただきたいと願う。そのうえでないと、この先の議論には進めない。

 前述の“働かせ方改革”は、16年12月に大手広告代理店・電通に勤務していた高橋まつりさん(当時24)が過労自殺に追い込まれた事件を機に、アベ政権が本格的な導入を検討し始めた政策だと伝えられた。その関連法案がついに国会で可決・成立した日、まつりさんの母・幸美さん(55)は記者会見で、「残念という気持ちと絶望。心のなかで『まつり、これが日本の姿なんだよ』とつぶやきました」と、遺影を抱えたまま涙を浮かべた(『朝日新聞』6月30日付朝刊)。

 一方、件の竹中平蔵・元経済財政担当相は、参院での採決が近づいていた時期に、高プロ制度について、こんな証言を残した。「時間内に仕事を終えられない、生産性の低い人に残業代という補助金を出すのも一般論としておかしい」「(提唱した)産業競争力会議の出発点は経済成長。労働市場をどんどん改革しなければならず、高プロはその第一歩だ」(『東京新聞』6月21日付朝刊)。彼は当然のように対象の拡大を求めていた。過労死対策でも何でもない。

 まつりさんは利用されたのだ。新自由主義が人でなしのイデオロギーである証左と断じて差し支えないと思われる。

 そうやって総人件費を抑制できれば、たしかに企業は潤うのだろう。だが、そんな社会を“成長”とか、“経済が強くなる”などと形容してよいのだろうか。経済とは何のためにあるのか。こうまで破滅的な、人間存在というものをとことん小馬鹿にした経済“思想”には、一刻も早く、永遠の別れを告げなければならない。

(了)

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