2024年04月25日( 木 )

狂暴化するスポーツ団体、バド・今井彰宏氏の「永久追放」は不当!

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

青沼隆郎の法律講座 第11回「公益財団法人・応用編」

 (財)日本バドミントン協会による、再春館製薬所元監督・今井彰宏氏に対する指導者資格の永久剥奪。指導者にとって、生計の根拠を剥奪される「経済的極刑」だ。このような1人の人間の生活権そのものを奪う厳しい処分が、なぜいとも簡単に下せるのか。

合理性のない「永久追放」

 その根本原因は、公益財団法人の管理監督を担当する文科省(監督官庁)のあり方にある。監督官庁はその監督下のすべての公益財団法人に定款の作成を義務付けている。行政の画一性・公平性と管理の効率化のため、ほぼ定款の記載内容は同一である。

 スポーツ団体は、国や地方公共団体からの助成金の対象とするため、選手も指導者も登録制にして管理する。この登録制の本来の機能が、1人歩きして登録資格そのものに何もかもの利権性を付与してしまった。「不適当」と判断した選手や指導者には、公金による助成を行わないだけで必要十分であり、指導者の生活権まで奪う必要はないはずだ。

 指導者と選手は、長い年月をかけて構築された信頼関係の上で、立派な成績を達成する。選手にとって、信頼する指導者の喪失は選手生命の剥奪にも近い重大な侵害となる。

「協会ファースト」

 スポーツ団体が、選手や指導者たちへの『サポート役』から、選手・指導者たちを管理監督する『支配者』へと変質した。今はやりの言葉でいえば「選手ファースト」ではなく「協会ファースト」になってしまった。

 処分の不当な重罰性の根本原因は2つある。第一は処分行為の法的意味をまったく知らない素人集団(理事会)が処分をするため、事実認定手続きが極めて稚拙であること。つまり、処分手続が極めてお粗末なのだ。

 その原因が定款や附属規定の規定(文言の表現)にあることが第二の原因だ。定款や附属規定はあまりにも処分規定としては体をなしていないが、もともと監督官庁としては、理事会が重罰処分を連発するとは想定しておらず、「必要なら事前の相談がある」などと高をくくっていた“怠慢”が露呈したといえる。現在、文科省はこれまで以上に沈黙を守っている。口を出せば直ちに国民は事件の本質を知るであろう。

 百聞は一見にしかず。たとえば、パワハラ問題で、速見佑斗コーチを無期限登録抹消処分とした日本体操協会の定款における理事の解任規定は以下のようになっている。

(役員の解任)
第32条 役員が次のいずれかに該当するときは、評議員会の決議によって解任することができる。ただし、 監事を解任する場合は、議決に加わることのできる評議員の3分の2以上に当たる多数をもって行なわなければならない。
(1)職務上の義務に違反し、または職務を怠ったとき
(2)心身の故障のため職務の執行に支障があり、またはこれに堪えないと認められるとき

 評議員会は素人集団である。この過半数で解任決議は成立する。どのような職務上の義務についてどの程度の義務違反や職務違反があればどの程度の処分可能か、など、具体的に処分を正当と判断する材料が一切ない。

 処分には前提として、処分を正当化ならしめる事実が存在する。不利益処分の理由となった事実であり、必ずしも違法であることや犯罪行為であるとは限らず、協会や選手の名誉を貶める行為・社会的不相当行為も処分の理由となり得る。指導者の体罰は社会的不相当行為ではあっても必ずしも違法行為・犯罪行為ではない。現在の報道の基本には完全に「指導者の体罰=刑事犯罪」の認識がある。世論によく見られる極端な「ブレ」である。

 規定が概括的であるだけに、事実認定手続きにおける被処分者に対する権利保護の必要性は大であるが、素人集団にはまったくその意識はなく、また期待もできない。これが実際の公益財団法人の運営である。

問われる国民の主権者意識

 いとも簡単に理事会が登録コーチの公法上の権利を剥奪するのは、登録コーチの権利を実際には公的権利と認識していない、できていない結果である。わかり易くいえば、「与えてやっている」意識がある。

 つまり、公法上の権利は基本的には国家主権に基づく権利であるから国民自身がその権限者である。これをあえてわかり易くいえば、助成金はもともと国民の税金であり、その税金を正しい手続で授与されるのも国民であり、授与の正当性は正しい法的手続きに起源するもので、理事に就任した具体的個別の人間(の恣意的判断)にあるのではない。

 授与が正当な手続によるものであるから、剥奪も正当な手続によらなければならない。人が変われば結論もかわるというような、人による手続きではなく法による手続きでなければならない。

 まともな法学教育を受けた人間の集団としての理事会であれば、前記のわずか一文一行の権利剥奪規定など、それ自体が不当違法であることは瞬時に理解する。わずか一文の規定など何もないに等しい。監督官庁は、理事会について、権利剥奪を主たる業とする機関とは認識しておらず、ここでも性善説(規定を簡便に手抜きで制定するときの常套弁解)が罷り通る。

 以上が、スポーツ団体による不当な権利剥奪が横行しても文科相が「黙りこくる」理由である。

<プロフィール>
青沼 隆郎(あおぬま・たかお)

福岡県大牟田市出身。東京大学法学士。長年、医療機関で法務責任者を務め、数多くの医療訴訟を経験。医療関連の法務業務を受託する小六研究所の代表を務める。

関連記事