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2018年10月20日 07:00

人類の未来と日本(6)

 数年前のことだ。ある国際学会で「新時代のヴィジョン」というテーマで発表してほしいと頼まれた。アメリカから数名の学者も招くので、日本からも何か貢献をしてくれというのだ。場所は台北、私は喜んで参加した。

 哲学者の集まりだというから、日本の哲学をぶつけようと思った。「新時代」といえども、どんな時代かもわからない混沌の世だ。テロ多発で世界中が参っている時だ。紛争の根源には何があるのか? 貪欲、野心、国益、そうしたものか?これらを打開するヒントが日本の哲学に見つかるのではないか、と思えたのだ。

 私が思ったのは西田幾多郎の哲学だ。西田理論は「場所の論理」を基礎にして「絶対矛盾的自己同一」を世界の論理として謳ったものだ。それを説明して、混沌とした世界の1つの指針にしてもらいたい、そう思ったのである。
「場所の論理」とは、なにより「場所」を出発点とする世界観だ。あるものがほかのものと関係する。その関係を言葉で表したものが論理である。だが、西田はそこで「待て」という。関係が発生するにしても、あるものが存在するにしても、そこにまず「場所」がなくてはならないと。

 その「場所」は言葉にはならない。従って、論理の表面に顔を出さない。存在していても存在していないようなものである。しかし、それなくして何も存在できないし、何も起こりえない。

 「場所」はただの空間ではない。そこに存在するすべてに影響を与え、存在するすべてはそれに反応する。その反応がまた「場所」の性質を変えていく。そしてその変質した「場所」が、今度はそこに存在するすべてに新たな影響を与える。世界はこうして成り立っている。

 私が台北でこの論理を紹介したかったのは、「場所」を重視することが現代には欠けていると思ったからだ。「場所」を重視するとは、自分の存在が「場所」に依拠しているという自覚をもつことであり、「場所」に対して慎みをもつことを意味する。そのような慎みこそ、現代世界には欠けている。それがないから、ひどい紛争やテロ事件、犯罪が頻発するのだ。

 現代人は「場所」という概念を失っている。それが私のメッセージであった。というのも、西田のメッセージである「場所」は、彼にとって聖なるものだったのだ。「場所」を失った現代人は、聖なるものを失っている。そうなれば、人類は獣類よりも悪い存在となる。

 動物たちはそれぞれ聖域をもっており、それを守ることを身上としている。「縄張り」というのは下品な言い方で、彼らにとってそれは聖域なのである。それを感じとれなくなった人類は、救いようのない生き物となった。生物失格である。

 日本では、今はそうでもなくなったが、聖域を守る行事が続いてきた。相撲の世界はその最たるものだ。土俵は聖なる「場所」であり、すべてはその「場所」にもとづく。力士の存在は土俵がつくるものであり、相撲の展開そのものが土俵である。

 土俵という考え方は西田の論理と相通じる。土俵への敬意を失ったら、相撲はボクシングやプロレスと変わらない。西田のいう「場所」は、そこにおいて始めて自分も他人も存在し得る聖なるもので、存在するものは真っ先に「場所」に礼儀を示し、「場所」の前に己を否定しなくてはならない。
聖域を寺社や教会にのみ求めるのは現代人の大いなる過誤である。西田哲学は、それへの「待った」なのだ。聖域は遍在する。なのに、最近では「パワースポット」などと称して、観光化され商売道具となった既成の「聖域」をうろつく人が増えている。

 さて、「場所」の概念がどうして紛争や暴力を抑えることになるのか。
西田によれば、あるものと別のものが同じ場所に存在すれば、その関係は必ず対立関係となる。そして、「矛盾」を来たす。しかし、自らが場所によってつくりあげられている存在であると自覚できれば、そのとき対立しつつ、矛盾しつつ、自らと他者の存在を同じ場所を共有するものとして肯定できるようになるというのだ。彼にとって世界とはそういうものであり、それゆえに、これを「絶対矛盾的自己同一」と名づけた。

 己と他は必ず矛盾し、この矛盾は決して解消しない。だから「絶対的矛盾」である。しかし、おなじ場所にあると気づけば、「同一」であると受け入れられる。この発想は今日の世界に最も欠け、最も必要とされるものではないだろうか。

 西田は対立や矛盾を解消しようと思わない。それが現実だからで、その現実を否定して理想に赴こうとすることは、彼にとって幻想なのだ。対立や矛盾を消し去ろうとするから、醜い争いになる。みんな、仲良くしましょう、みんな同じなのよ、はダメだのである。

 私はそのような考えを台北の学会で強調した。場所に基づく自己認識がないところ、矛盾は必ずや自己以外の存在の否定につながる。ほかを抹殺しようとするのだ。共存は妥協によって成立するのではなく、「場所」という聖なるものを前にして自己否定することによってしか成立しない。他者のために己を殺すのではない、場所のために己を殺すのである。力士が土俵に上がるとき、土俵から降りるとき、礼をするのはその態度を象徴している。土俵は聖なる場所なのだ。

 ここで再びレヴィ=ストロースが思い出される。『野生の思考』に次のようなアメリカ先住民の話があるのだ。
 あるところに川があった。川の両岸にはそれぞれ部族が住み着いて、川の水を享受していた。ところがそこへ、第三の部族がやってきた。それでどうなったか。3つの部族の長が集まり、会合を開く。そこで以下のことを決める。それぞれの部族の老人を犠牲にし、3つの部族の人数の合計がこれまでの二部族の人数の合計と等しくなるようにしよう。そうして、3つの部族で均等に川の水を分かち合おうと。

 レヴィ=ストロースはこの話を紹介した後、読者に問うている。西洋ならここで戦争が起こり、勝ち残ったものだけが川の水を享受することになっただろう。そういうやり方と、このアメリカ先住民のやり方と、どちらが「野 蛮」かと。

 アメリカ先住民のやり方は、西田流にいえば「場所の論理」の応用である。川は聖なる場所である。だから、その前でそれぞれの部族は身内の一部を切り落としてまで共存の道を選ぶのだ。共存とは合体ではない。3つが1つになることではない。3つの部族はそれぞれ存続し、決して対立関係をゆるめはしない。「矛盾」は絶対だが、それでも三者は「同一」になる。ちがっていながら、同じになれる。これが「矛盾的自己同一」なのである。

(つづく)
【大嶋 仁】

<プロフィール>
大嶋 仁(おおしま・ひとし)

1948年鎌倉市生まれ。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。 1975年東京大学文学部倫理学科卒業 1980年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇にたった後、1995年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し、名誉教授に。

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