2024年04月25日( 木 )

日馬富士裁判で学ぶ日本の法律(2)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

青沼隆郎の法律講座 第17回

被害者の立証責任と加害者の反証

 損害の主張と立証は原告たる被害者側にある。それは損害事実と証拠を法廷に提出することである。被告たる加害者は、その損害事実と証拠について反論弾劾が求められる。

 たとえば当事者間で主張に差がある入院費用について具体的に示せば、原告は加害行為の結果、その治療、治癒までにかかった一切の治療費を請求する。それが医療機関に支払った医療費であり、通院経費などである。原告はそれらの合計が300万円余とする。

 一方、加害者は、示談交渉、調停段階では、刑事処分で認定された加療12日間とする診断書を根拠として、その期間の平均的な治療費30万円を主張した。しかし、裁判では、原告が加療12日間とする診断書を算定根拠とはしていないのであるから、そもそも争点とはならない。しかも、被告の論理には致命的な欠陥が2つある。

 第一は、診断書の加療12日間というのは、負傷時点での将来見込としての判断であり、現実の治療が12日間で終わるという意味はまったくない。まして、完治までの期間を指したものではなく、治療の必要な見込期間の意味であるから、経過次第ではいかようにも変わる。その、いかようにも変わった結果、原告が証拠を示して主張した損害であるから、どちらの主張が正当であるかは一目瞭然である。

 第二は、刑事処分の事実認定は、医療費を認定したものではなく、診断書の存在を認定したもので、負傷の事実を認定したものである。従って、診断書は医療費の証拠とはなりえないのであるから、そもそも原告の医療費の弾劾証拠とはなり得ない。つまり、被告の主張する30万円は単なる希望的金額に過ぎない。証拠のない主張となる。

 原告の請求は具体的な項目として明示されており、被告は改めてその各項目について認否が求められる。当然、原告が提示した証拠を中心に議論されることになる。

 では、刑事処分で裁判官が認定した加療12日間の負傷というのはどういう意味をもつか。一言でいえば、まったく無意味、無関係である。これは、ある意味、国民の素朴な常識からみて理解できないだろう。そこで、極端な例で裁判・判決の個別性、相対性という基本的な法概念を説明する。

 冤罪事件の裁判で認定された事実には何らの絶対的拘束力はない。新証拠によって、簡単に否定される。この事実だけで裁判の個別性・相対性の説明は十分だろう。テレビに出演した弁護士は、刑事裁判官の認定事実が真実とはかぎらない、とわかりやすく説明していた。

 以上の説明で、本件の紛争の本質が、実は軽微な刑事処分が生まれた事情にあることは明白である。暴行事件は本当に日馬富士の単独暴行事件だったのか、日馬富士が主張するように、貴ノ岩に先輩に対する失礼行為があり、それが、暴行傷害を引き起こしたのか。このような事情一切が当初、事件関係者によって隠蔽されていたというのに、貴乃花親方にどのような報告義務があったというのか。その報告がないことで、協会にいかなる重大な損害・結果が生じたというのか。つまり、報告義務違反を理由とする貴ノ花親方の理事降格処分は正当といえるか。さらに、公益財団法人法の定める、理事に対する処分手続として評議員会の直接主義違反(※)は適正適法か、の問題がすべて、闇に葬られたままである。

 これらの明白な違法手続を指摘したものが貴乃花親方の告発状に他ならない。
 マスコミは本当の意味で、告発状を理解していない。取り下げたという事実を勝手に解釈し、放置してしまった。念の為、告発の取り下げが法的意味をもつのは、刑事告訴告発における親告罪の場合だけである。親告罪は、被害者の処罰の意思が訴訟要件として必要だからである。

 本件の場合は公益財団法人の理事会の業務執行についての不正行為の告発であるから、不正行為の事実がいったん監督官庁に到達すれば、それにより監督官庁の調査義務は発生する。その後、告発者が告発を取り下げても、不正事実が存在しなくなったという結果が生じたわけでもない。告発事実は取り下げ行為によって消滅する性質のものではない。

 遠からず、監督官庁の調査義務、監督義務が問題になる。とくにマスコミがこの事理を理解しないことは、マスコミの低い法的素養が、社会不正義を横行させていることになる。

 マスコミの貧弱な法的理解力を嘆いても仕方がないが、なぜ、協会が告発状の事実無根を貴乃花親方に迫ったかを今一度よく考えればすぐに正解に達するはずである。

(つづく)

評議員会は評議員が直接、処分事由となる要件事実を証拠収集しなければならないとする裁判法の基本原則。民事裁判でも、裁判官は直接、適法な証拠を取り調べる義務が規定されている。本件では、危機管理員会という得体の知れない「捜査機関」による、一方的な報告を基に何らの弁明の機会も与えず処分が下されている。少なくとも、貴乃花親方の弁解を聞き、それに理由がないことを示すこと(ここまでが処分の理由)が裁判法の基本原則である。これらの事実は、危機管理委員会という得体の知れない内部機関が、実質的には裁判機関として機能したことを示している。これはすべて、法的無知の力士に対して、法匪が問答無用として遂行した結果である。

<プロフィール>
青沼 隆郎(あおぬま・たかお)

福岡県大牟田市出身。東京大学法学士。長年、医療機関で法務責任者を務め、数多くの医療訴訟を経験。医療関連の法務業務を受託する小六研究所の代表を務める。

(1)
(3)

関連記事