2024年03月30日( 土 )

日馬富士裁判で学ぶ日本の法律(3)

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青沼隆郎の法律講座 第17回

判例にない高額の慰謝料請求の意味

 テレビ解説者で国際弁護士の八代氏は的確に本件訴訟の本質を説明した。本件訴訟が、単なる損害賠償金の獲得目的か、事件当初から横たわる真実隠蔽の策謀への挑戦かによって、この高額な慰謝料をめぐる当事者の態度が決定される。真実究明が目的であれば、単に日馬富士個人の利害を超え、協会理事会の利害に関わるため、事件は長期化・泥沼化すると予想する。

 この指摘はまったく正しい。ただ、裁判官出身の八代氏が一番言いにくかった事実がある。それは「ガチンコ判決」は裁判官が最も苦手として、一番避けたい裁判終結方法であることだ。黒白判決は必ず敗訴当事者が上訴する。世間の注目を浴びた本件事件では、一層の精密な事実認定と法律構成が求められる。これは、必然的に裁判の長期化を意味する。しかし裁判の長期化は貴ノ岩側にとって有利な事情となる。事件の闇に司法の光が当てられる可能性が高くなるからである。国民はこのような視点で、本件事件の推移を見ることになる。

 慰謝料算定の法的意味は、その他の損害認定と本質的に異なる。精神的苦痛の原因事実を認定しても、その金銭評価は裁判官の専権である。日本の裁判で、精神的苦痛がいかに現実的に意味のない極めて低い金額のレベルにあるかを考えたとき、精神的苦痛の主張が、事実上、裁判官によって無視、無意味化されている真の意味を理解する必要がある。すぐに理解できることは、精神的苦痛の評価がゼロに等しい水準であることは、司法サービスをしない、という意味であるから、国民の提訴意識をそぐ。これは現実的には裁判官の仕事量を増やさない効果をもつ。こんな裁判官本位主義の司法制度など存在理由はない。判例にない高額請求はその意味でも、国民は支持できる訴訟だと理解すべきことになる。

 以下は、裁判の現実的進行に従って、「裁判の公開」原則が、弁護士裁判官によって、いかに有名無実化・形骸化されているかを知ることになるが、それはマスコミがどれだけ本件訴訟についてコメントするかにかかっている。

 本件の特殊事情によれば、原告代理人は通常裁判より、積極的に裁判の進行状況を公開する可能性がある。それはちょうど、オウム裁判がある程度公開され続けたことを思い出せば本来は当然のことである。本稿も、それに従って、コメントする予定である。

(つづく)

<プロフィール>
青沼 隆郎(あおぬま・たかお)

福岡県大牟田市出身。東京大学法学士。長年、医療機関で法務責任者を務め、数多くの医療訴訟を経験。医療関連の法務業務を受託する小六研究所の代表を務める。

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