2024年04月16日( 火 )

不動産王の誕生と没落~丸源創業者に下された審判

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 脱税か否か――長きに渡る裁判の末、飲食ビル賃貸業者、丸源の創業者・川本源司郎氏(以下、川本氏)に下されたのは懲役4年、罰金2億4千万円の支払いという実刑判決だった。
 かつて「銀座の不動産王」とまで呼ばれた川本氏は、ついに前科者になってしまった。

北九州が生んだ不世出の経営者

 飲食ビルの賃貸業者としてその名を轟かせていた川本氏。競合他社を上回る一因となったのが、テナントに家具付きで貸し出すという手法だった。借り手となる飲食店側からすれば、初期費用の抑制につながる。しかし、その分月々の家賃は割高になるため、後に、ビルに入居したクラブのママなどから賃料の減額を求める声が挙がることもあったという。

 試行錯誤を繰り返しながらも、事業規模は拡大を続け、北九州・福岡にとどまらず、東京の銀座・赤坂・六本木といった日本トップレベルの繁華街でも“丸源”の文字が躍るようになった。こうした進出エリアの特徴もあり、川本氏は「銀座の不動産王」だけでなく『ネオン街の大家』としても知名度を高めていく。

 1つのブランドとして確立された丸源。1980年代には最大で5,900ものテナントを抱え、バブル期の終わり(91年)には、川本氏の資産総額は3,000億円規模にまで達していた。バブル崩壊後も、同業者が次々と姿を消すなか、同氏だけが生き残ったことから、成功者として米経済誌「フォーブス」にも取り上げられた。北九州の呉服屋に生まれた少年は、不世出の経営者として見事大成したのである。

成功の陰で

 所有するビルの老朽化への対応や法令順守への意識が不十分だったが故の事故も起きている。2010年8月には、北九州市小倉北区の「丸源ビル29」の外壁が剥落。14年10月には北九州で所有するビル8棟で30件を超える違反が発覚し、同年12月には北九州市消防局が丸源および川本氏を福岡県警小倉北署に訴える事態となった。老朽化にともなうビルの改修や消防法への対応の遅れは「知らなかった」では済まされない。顕著になっていく丸源ビルの設備の脆弱性と、一向に進まない改善策。次第に、テナントの数は減っていった。

不動産王に下された審判

 川本氏の特徴を言いあらわす言葉として、「不動産王」「ネオン街の大家」以外に「節税の鬼」というものがある。事実、同氏は「節税はゲーム。無駄な税金を払う必要はない」とうそぶき、社名や本店登記の頻繁な変更、会社の清算・復活を繰り返すなどの裏技を駆使して、東京国税局との間で法人税をめぐる争いを展開してきた。

 脱税か節税か――双方の主張が平行線をたどる中、2013年3月、川本氏に年貢の納め時がやってくる。東京地検特捜部が法人税法違反で同氏を逮捕、起訴したのだ。

 度重なる弁護士の交代などで裁判が長期化していく中、16年5月、丸源8・17・30ビルなど4棟が売却された。翌17年には、11物件(ビル8棟、ミクニワールドスタジアム隣接地10,800m2を含む土地3件)も手放したことで、川本氏の故郷、北九州から完全に丸源の灯が消えることになった。

 丸源ビルの売却が進むなかで、川本氏の脱税をめぐる裁判も着実に判決へと近づいていた。そして、18年11月20日、東京地裁は同氏に懲役4年、罰金2億4千万円の支払いという実刑判決を下した(求刑は懲役5年、罰金3億円)。

 しかし、川本氏は判決後、保釈を申し立て、保釈金7億5千万円を“キャッシュ”で支払い保釈された。「王」と呼ばれるに相応しい財力を見せつけた格好だが、判決が下った以上、同氏に対する信用失墜は避けられない。

【代 源太朗】

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