2024年04月24日( 水 )

【追悼】会社に、業界に、献身的に注力~山本雄三氏(山本設備工業2代目社長)永眠

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 山本設備工業(本社:福岡市南区、山本慎一社長)の2代目社長・山本雄三氏が12月23日午前3時に逝去された。享年82、3年前に胆管がんを患い手術し、静養を続けていたが、この半年間、体力の衰えが目立っていた。

 故・雄三氏は山本設備工業を地元トップクラスの企業に成長させた功労者である。同社は故人の実父・山本熊一氏が1956年2月に創業、1961年に法人化した。故・雄三氏は1980年から2006年まで2代目社長として手堅い経営に徹し、同社の『中興の祖』と評価されている。

 日本住宅公団(現・UR都市機構)は1975年前後から、福岡都市圏に5階建て団地を筆頭に団地の建設を増加させてきた。同社にとって、この集合住宅の設備工事の実績を積み重ねたことが大きな財産になった。
 分譲マション・賃貸マンション建設が急増したことにより、設備工事がうなぎ登りに増え、1993年前後には年商30億円を突破したのである。この実績が故・雄三氏が『中興の祖』といわれる所以である。

 筆者が故・雄三氏に初めて会ったのは1979年だったと思う。親しくしていた同業者の取材コメントをもらうために面談したのだ。当時から業界でリーダーシップを発揮していた故・雄三氏。当時、まだ企業調査マンとしては未熟な筆者に対し、懇切丁寧に教えてもらったことに深く感謝している。そこから40年間、お付き合いというか、指導を仰ぎ「師匠」として尊敬してきた。

 人柄は「温厚・義理に厚く・面倒見が良い」ので、人は故・雄三氏を「仏の雄さん」と呼んでいた。「私欲を抑えて公に尽くす」という精神の持ち主だったからこそ、福岡市管工事協力会会長という要職に長年就き、業界のレベルアップに貢献してきたのである。故・雄三氏の信用・実績の上に三代目の慎一社長も同協力会会長に就任している。また福岡西ライオンズクラブでも会長を務め、業界を超えた幅広い活動も行ってきた。

 「仏の雄さん」は経営者としては当然の如く、厳しい姿勢を貫いてきた。社員たちへの教育・マナーに対する指導は厳しかったという。「大声で叱責されると震えた」と古参社員は証言する。ただし、その後のフォロー・気配りには頭が下がる思いだったそうだ。
 社員たちを厳しく指導するには訳がある。故・雄三氏は「企業にとって大事な3つの主力」という経営方針を掲げ、(1)「得意様」(2)「商品づくり」(3)「金融機関・銀行」、という3つのバランスを図ることが経営基盤を固める要であるとしてきた。そして、これを実行できるかどうかは社員たちへの教育次第であるという経営の鉄則をもっていた。

 故・雄三氏は2006年に社長を譲り、会長、相談役と経営の現場から身を退きながら老後の悠々自適な生活を楽しんでこられたのだが、ついに天国に召されてしまった。故人にしてみれば慎一社長の下、全社員が奮闘し、会社の経営が順調にいっている光景を眺めながら、安心して成仏されたことであろう。合掌。

 

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