2024年04月26日( 金 )

新冷戦・米中覇権争い 文明論から見た米中対決(2)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

福岡大学 名誉教授 大嶋 仁 氏

中華思想の根深さ

 もう40年も前のことだ。当時私は静岡大学で教鞭をとっていたが、そのころは今と違って中国からの留学生は少なかった。そういうなかで今でも忘れられないのは、劉(姓は覚えているが、名前を思い出せない)という男子学生である。物理学を専攻し、指導教授に大変評価され、将来が有望視されていた。理系の大学院にいた彼を、文系の私がどういうきっかけで知るようになったのか、これも覚えていない。ともかく我が家によく遊びにきていたことはたしかだ。

 あるとき彼がこんなことを言った。「先生、僕にはどうしても理解できないことがあります。中国は中世までは世界で最も科学が進んでいたのに、いつの間にか西洋に追い越されてしまった。この屈辱は晴らさなくてはなりません」。

 私はこの素朴な言葉に驚いた。中国が中世において世界で最も科学が進んでいたということ自体正しいかどうかわからない。しかし、彼がそれを信じきっている。そして、西洋に追い越されたことを「屈辱」と感じているのだ。私は今さらに中華思想の根深さを思った。彼の愛国心・自尊心はずたずたにされているのだった。

 私がこの話を思い出したのも、おそらく中国の中枢部には今でもこうした感情が残っているのではないかと思うからだ。「中国は西洋に支配されてしまった。そのこと自体、許しがたい」そう彼らは感じているのではないだろうか。同じアジアの日本が科学に先んじ、ノーベル賞の数もアジアで突出していることも、彼らの誇りを傷つけているに違いない。中華思想がそこまで続いているということは、彼らがまだ世界を知らないということと同義である。

 もっとも、この感情、日本人にもまったくないわけではない。戦争で負けた「屈辱」は、国民全体が忘れたふりをしているが、時としてそれが噴き出す。オリンピックでの日本選手の金メダル獲得数とか、あるいはメジャーリーグでの日本人選手の活躍とか、そうしたことが日々気になるというのも、何とかしてあの「屈辱」を晴らしたいからであろう。それは必ずしも反米感情ではない。むしろ、世界のトップでありたいという感情である。

 留学生の劉に話を戻すと、彼が日本に留学した理由は、当時の中国では物理学を基礎からしっかり学ぶことが難しかったからだ(そのように、本人が言っていた)。では、アメリカ留学は考えなかったのかというと、「まず日本で基礎をつくってからアメリカに行く。博士号はアメリカで取りたい」ということであった。つまり、彼にとってアメリカこそが科学の真の道場であり、日本はそこへ行くまでの通過点に過ぎなかった。この発想は現在も続いている。中国の若者で優秀な者はアメリカに留学し、次がヨーロッパ、その次が日本だということをよく耳にする。アメリカは中国の若いエリートたちにとって一種の聖地。その聖地に行くための努力は、並大抵のものではないようだ。

(つづく)
【大嶋 仁】

<プロフィール>
大嶋 仁 (おおしま・ひとし)

1948年鎌倉市生まれ。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。 75年東京大学文学部倫理学科卒業。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し、名誉教授に。

(1)
(3)

関連記事