2024年04月20日( 土 )

【友利家具の張诘社長に聞く】妹を助けるため 高級官僚から家具会社社長に転身(前)

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桐郷市友利家具有限公司の単経理(社長)は、張英董事長の姉、張诘氏だ。元中国政府の高級官僚で、政府機関の責任者を歴任。国営企業の社長経験もある。友利家具のオーナーとして、多忙な日々を送る張英氏を「助けたい」という一心で、2年前に官僚を辞職。友利家具の社長に就いた。現在、友利家具の工場長も兼務しており、家具づくりに没頭する日々を送っている。家具づくりは未経験だが、「頭が良く、人脈もある」と武野重美アダル会長の評価は高い。続柄は武野会長の義理の姉になるが、尊敬を込めて「お父さん」と呼ぶ。友利家具の社長を引き受けた経緯、将来の人生プランなどについて、話を聞いた。

政府機関の部門リーダーを歴任

張诘・桐郷市友利家具有限公司
社長(左)と武野会長、張董事長

 ―政府ではどのような仕事していましたか。
 張诘 大学卒業後の17年間、政府のいろいろな部門のリーダーとして働いてきました。最初に働いたのは、交通違反などを取り締まる部門の所長で、その後が立ち退きを行う部門の副主任でした。周浦市の環境部門の所長のほか、政府系の有限公司(会社)の単経理(社長)も務めていました。マンション管理を行う会社や道路を清掃する会社、道路緑化を行う会社などでした。最後のポストは、保険処理などを行う周浦社保中心の主任(責任者)でした。

 一番多いときには、1,000名以上の部下がいました。政府の仕事のほか、裁判所の陪審員を10年間務めていました。道路整備の会社社長をしていた時に、2級建築士の資格を取りました。試験が好きなので、今の会社にきてからも、必要な資格は取っています。

官僚を辞めたのは当然のこと

 ―2年前に政府機関を辞めて、友利家具の社長になったそうですが、その理由は?
 張诘 苦しんでいる妹(張英董事長)を助けるためです。

 ―官僚を辞めたことに対する周りの反応は?
 張诘 非常に反対されました。辞めた後、父親はショックで心臓を悪くしました。旦那にも反対されました。友だちからは「ちょっとおかしいんじゃない?」と言われましたし、上司からはメチャクチャ怒られました(笑)。
 確かに、政府機関で働き続ける方が、社会的な地位もあるし、福利厚生なども良い。将来的に何も困ることはありません。でも、私にとっては、たった1人の妹を助けることのほうが大事なことです。官僚を辞めたことは、私にとって当然のことでした。

 ―張英さんが非常に困っていると知っていたのですね。
 張诘 ええ。母親から妹が毎晩遅く帰っていると聞いていました。妹は家にいるときはいつも寝ていたので、体調を崩したのではないかと心配していました。一方で、私は政府機関でのんびり仕事をしているわけです。申し訳ない気持ちでした。妹のために私にできることがあれば、なんでもしてやろうと考えていました。

(つづく)
【大石 恭正】

(後)

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