2024年05月08日( 水 )

NPO法人福岡・ネパール児童教育振興会理事長・篠隈光彦氏急逝、まだ10年早いぞ!【追悼文】

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 「篠隈光彦氏の急逝」がファックスで届けられたのは2月25日昼のことであった。第一報を聞き「嘘だろう、間違いだろう」と耳を疑った。

 本人とは先月ある会議で会っている。関係者たちは異口同音に語った。「2週間前に楽しく飲んだのに」とか「会食した際には元気であった」と、皆さま半信半疑のようだった。それだけ突然のことだったのだ。故人は1941年11月生まれだから享年77。10年は早い旅立ちであった。死因は心筋梗塞だという。

 福岡市南区にある草苑で行われた26日の通夜、27日の葬儀には、それぞれ400名を超える方々が故人を偲んで参列された。故人・篠隈氏の交際範囲の広さを改めて再認識させられた。

 親族を代表して長女の岩中美奈子さんが挨拶。「父の存在はあまりにも偉大で、何でも引き受けてくれた鉄人でした。父の急逝という事実の前にただただ、呆然とするばかりです」と言葉を詰まらせていた。

NPO法人福岡・ネパール児童教育振興会理事長として社会貢献する

 昨年、弊社が発刊した『時代を紡ぐ企業110社』で故・篠隈氏を取材した。記事は次のようにまとめている。「2002年8月、第一期の卒業生30名が巣立っていった。卒業式というと晴れの日ではあるが、手放しでは喜べない。卒業する子どもにとっては次のステップとなる中学校で学ぶ機会をもてないことを意味していた。『ネパールの教育制度は5年、3年、2年の10年制で世界標準の12年と比べると期間が短い。それでも、10年間勉強することによって、彼らは、国内では1人の大人として認識されるようになる。それだけに、これでお別れかと思うと心が痛んだ』と篠隈氏は当時を振り返る」(NetIB-News「ネパールの子どもたちに教育の光を」を参照)。故人のネパールへの熱い愛情が伝わってくる。

 故・篠隈氏は福岡博多東ライオンズクラブに所属しており、第29代会長を務めた。同クラブの友人・山崎広太郎氏(元・福岡市市長・衆院議員)は篠隈氏と同年である。「篠隈君は事業家として非常に才覚を有していた。商売人としてだけの逸材ではない。出光興産を興した出光佐三の規範が彼の原点である」と喝破する。

 故人は若き時代、出光興産で勤務したことがある。ここで出光佐三氏に薫陶を受けたのであろう。原点とは「商売で儲ける前に日本人であることを誇りに思い、社会貢献を優先しなさい!」ということである。商売に卓越しながらもネパールの教育・人づくりに一心不乱に没頭してきた故・篠隈氏の生き様は師匠・出光佐三を模範にしたのであろう。

枯れずにビジネスにも意欲を燃やす

 アーキスタイル(設計事務所)代表・一色美昭氏の証言を聞いて驚いた。「篠隈先輩は私にとってビジネスの師匠だ。現在も3件のプロジェクト案件を投げられていた。近々、契約寸前の案件もあり多少、戸惑いがある。晩年までビジネスに注力して周囲の友人たちと楽しく酒を飲み合いながら楽しむ姿勢には、いつも感銘を受けてきた。あまりにも早い逝去だ」と悔やむ。

 枯れずに「終身自立独歩」、そして家族を守り周囲の友人たちと楽しむ。故・篠隈光彦氏が貫いてきた人生には感服する。合掌

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