2024年04月19日( 金 )

電力から情報通信、道州制、演劇興行まで~傑物・芦塚日出美氏の足跡をたどる(5)

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福博の芸術・文化の拠点「博多座」の復活に尽力

 九州電力の“技術畑”から叩き上げで同社の副社長まで上り詰めた後、グループ会社の九州通信ネットワーク(QTnet)の代表取締役社長として経営立て直しと現在に至る躍進の道筋をつけ、さらには社外活動として「道州制」実現に向けて全力で注力――。

 これまでさまざまな場面で、持ち前の人徳と行動力、そして事業家としての才覚を発揮しながら辣腕を振るってきた、傑物・芦塚日出美氏の物語をここまで4回にわたって紹介してきた。

 そんな同氏の新たな活躍の舞台となったのは、何と演劇興行の世界――当時、不振に陥っていた「博多座」の経営立て直しのために、同社の社長として芦塚氏に“白羽の矢”が立ったのだった。

 1999年5月に開場した「博多座」は、福岡市や地元企業などが出資して設立された第三セクターであり、芦塚氏の前は2代連続で福岡市のOBが社長を務めていた。だが、当時は不況の影響などで入場者が激減。最終赤字の計上を余儀なくされるなど厳しい経営状況が続いており、そうしたなかで民間企業の経営手腕による経営立て直しが渇望されていたのだ。そして、それを託されたのが、これまで九電やQTnetで発揮してきた高い経営手腕に定評があり、しかも福岡経済界のなかでも随一の“文化人”として名高い芦塚氏だった。

 これまでとはまったくの畑違いである、未知の演劇興行の世界――。当初こそ誰にもいえない不安を心の奥底に抱えていたという芦塚氏だったが、ふたを開けてみれば、学生時代や渡仏時代などに培ってきた芸術・文化の素養やセンスに加え、これまでの事業家としての経験が、ここにきて見事に融合。芦塚氏が「福岡・博多の文化・芸能の拠点である博多座を何としても死守しなければならない」という気概をもって、2010年6月の博多座の社長就任直後から取り組んできた改革の数々は、次々と華々しい成果を上げていった。

 芦塚氏による改革の一例を挙げると、11年度から年度事業計画を、12年度からは中期経営戦略策定を策定し、各月の事業目標の管理を実施。また、演目企画にあたっては、集客力と収益性の期待できる演目選定を行い、新ジャンルの開拓、効果的な広報宣伝や営業、興行原価や販売管理費抑制による収益性の確保などにも積極的に取り組んだ。

 とくに芦塚氏が力を入れたのが、自主制作を行う演劇興行供給会社への転身だった。「自分たちで演劇をつくってみないことには、その制作コストがわかりませんし、コストがわからないと価格の交渉力が弱くなってしまいます。また、自主制作を行うことで、これまでは外部から演目を買うしかなかったものが、今度は演劇興行を供給する立場として博多座以外での外部公演を行うなど、コンテンツを外に売ることができるようになったのです」(芦塚氏)。

 “観客に今どのような演劇が求められているか”――劇場である以上、そうしたニーズを敏感に察知し、それに即した公演企画を行うことは絶対に必要な要素だ。

 博多座では、観客からの多様なニーズに対応し、定番である伝統的なクラシック歌舞伎はもちろんのこと、“スーパー歌舞伎”などの現代風歌舞伎、人気のミュージカルや宝塚、ジャニーズやHKT48などによる新ジャンル等々――そうしたさまざまなジャンルの作品を、年間を通じてバランス良く配置することで、実に多くのファンを獲得し、多数の観客を動員することに成功している。

 「もちろん演劇ですから、一作品一作品がどう“化ける”かは、実際に公演してみるまでわかりません。それでも、これまでに蓄積してきた経験・ノウハウから自分なりの“方程式”のようなものはできており、ある程度は読めるようになっています」と芦塚氏がいうように、演劇作品によって多少の変動はあるものの、年間を通してみると観客動員数は着実に増加傾向に。こうした数々の改革が功を奏し、芦塚氏が社長に就任する前には苦戦が続いていた博多座も、12年度以降は連続して黒字計上を達成するなど、見事に復活を成し遂げた。

 なお現在、芦塚氏は経営の第一線からは退いたものの、同氏が行ってきた改革の数々が博多座に定着するとともに、進取の気風がうまく受け継がれている。

 そんな芦塚氏に、これからの博多座について投げかけると、「まだまだやりたいことはたくさんあります。たとえば中国の京劇や、韓国ミュージカルなどの公演も面白いかもしれません。これからは海外も意識しながら、博多座が東アジアを見据えた演劇文化の拠点になっていければいいですね」――と語ってくれた。

 演劇興行が心底好きなのだろう。今後の夢について語るその眼は、まるで少年のようにキラキラと輝いていた。

数々の功績が称えられ、「旭日中綬章」を受章

 18年11月、これまでに行ってきた数々の功績が称えられ、芦塚氏は「旭日中綬章」受章の栄誉に浴することになった。東京プリンスホテルで行われた叙勲伝達式に出席した芦塚氏は、経済産業省大臣から勲章を、安倍総理大臣からは勲記を授与された後、天皇陛下(現・上皇陛下)に拝謁。そこで陛下からのお言葉を賜り、「まさに感激の極み」(芦塚氏)だったという。

 今年3月には、地元・福岡の発起人の呼びかけにより、「ホテルオークラ福岡」で受章祝賀会が盛大に開催された。

 「このように盛大な祝賀会を催していただき、誠にありがとうございました。こうした栄誉に浴することができましたのも、長年にわたり皆さまがたよりいただきました、ご指導ご鞭撻のおかげであります。衷心より感謝申し上げますとともに、今後とも変わらぬご交誼のほど、何卒よろしくお願いいたします」(芦塚氏による謝辞)。

 祝賀会には、300名を超える多くの人々がお祝いに駆けつけた。これはひとえに、芦塚氏の温和でユーモラスな人柄と、これまでに積み上げてきた実績に依るものといっていいだろう。

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 今回5回にわたって、傑物・芦塚日出美氏の足跡を振り返ってきたが、連載第1回目の冒頭で述べたように、並みの人であれば4~5人分に匹敵するほど、実に濃密な人生を同氏が送ってきたことがわかるだろう。とはいえ、今回触れたのは、同氏の多岐・長大にわたる足跡の、まだまだほんの一部分に過ぎない。

 筆者も今回の連載記事の執筆にあたって芦塚氏に数回お会いさせていただいたが、同氏の柔らかな物腰や機知に富んだ受け答え、そして細やかな気づかいの数々など、まさに「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という諺(ことわざ)を体現しているかのようだった。一方で、九電やQTnet、同友会時代のことを懐かしそうに語りながらも、演劇興行について熱心に語る様からは、同氏が心のうちに秘めている情熱が、まだまだ微塵も失われていないことが感じられた。

 そんな芦塚氏も、今年12月には御年80歳の“傘寿”の節目を迎える。すでに経営者としての第一線を退いてはいるものの、まだまだ芦塚氏の英知が必要とされる場面は数多いはずだ。福岡を良い方向へと導いてくれる“賢者”として、同氏の今後のさらなる活躍を期待したい。

(了)
【坂田 憲治】

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