2024年03月29日( 金 )

九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(4)

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通販=健食業が牽引

長谷川 常雄 氏

 関係者しか認識していなかったことであるが、一時、福岡の業者が日本の業界を牽引した業種がある。それは「通販=健食業」で、明太子の勢いがピークを過ぎた時期と同じくして福岡で勃興しはじめた。昭和60年頃からその兆しがあらわれ、平成5年から20年までがピークの期間だった。しかし、それからは下り坂。いまや大手(例えば、サントリー)に押されっぱなしという状態なのだ。ただし、この20年間で成功した企業が貯め込んだ金額は半端ではない。まず先日、亡くなったキューサイ創業者・長谷川常雄氏の例から紹介しよう。


地元への貢献は皆無だが、貯め込んだ金額は半端ではない健食=通販業

 若い方々はもう知らないであろう。「まずい!もう一杯!」というキャッチコピーのCMで一世を風靡したキューサイの創業者・長谷川常雄氏のことである。

 キューサイを上場させM&A価格は600億円と囁かれ、一族が握った金は450億円とも500億円とも言われていた。現在も一族郎党が握った金額の最高記録をキープしている。

 別件だが、最近の記録ではJR九州がM&Aした金額が400億円、この会社は一族経営だったので一族郎党が得た金額は400億円と推定されており、キューサイには若干、およばない。

 長谷川氏は目ざとい経営者であった。売却益所得・きたるべき相続税対策を講じていた。会社を売却して本人を含めた家族はロンドンに生活拠点を移した。税金対策の為である。今やリッチ層が日本を捨ててシンガポールを筆頭に脱税操作のために脱出することが流行となっている。九州地区においては長谷川氏がその先鞭をつけた。同氏の経営信条は「先手必勝」だ。長谷川氏はまさしく、それを実践したのである。

福岡の健食通販のパイオニア

 長谷川氏は京都出身。大沢商会に勤務し、転勤で福岡に赴任してきた。その後、会社を退職して独立。創業当時は人に言えない辛酸を舐め続けていた。体調を壊して入院中に人生を変えた青汁との出会いがあった。この青汁との出会いで長谷川氏は健康を取り戻した。この体験から『この青汁を流布させることで日本人の健康に貢献したい』という事業使命を明確化した。長谷川氏はこの頃まで、日本という国を愛する心をもち続けていた。

 長谷川氏は福岡中小企業同友会においても熱烈なリーダーシップを発揮していた。「事業計画作成部会」において中小企業経営のレベルアップの為に精魂を使いきっていたのだ。だからたくさんの『長谷川常雄』信者をうみだし、一時は「教祖的役割」を担っていた。だから500億円という想像できない金額をつかみロンドンへ「ハーイ、サヨーナラ」と飛んで行った行動を目撃した常雄信者たちの大半は落胆した。

 長谷川氏のもう1つの功労話を紹介しておく。いまでこそ「福岡が日本最大の健食通販の拠点であった」という認識は広まった(現在は大手に押され気味であるが――)。石鹸のヴァーナルとキューサイの青汁が福岡のリーダーシップを握っており、お手本的な存在であった。「キューサイ長谷川社長に続け!」と後輩たちに尊敬の念をもたれていた。このころが同氏にとって最も充実した期間だったであろう。

 売却までの経過を付記しておく。90年に「まずい!もう一杯!」のテレビCMが話題となり大ヒットし、巨大な青汁市場創造の一端を担った。95年に『キューサイ』に商号変更をする。97年に株式を店頭公開。99年には東証二部、福証へ株式を公開し上場企業の仲間入りをする。その一方で、2000年にケールの調達先である農事組合がキャベツを混入させた問題が発覚。赤字に転落する危機があったが、原料のケール調達を直営工場に切り替えるなどして信用回復。再び業績を伸ばした。

 ヒットを打ち続ける中、06年、キューサイは投資ファンドと組み株式を市場から買い取るMBO(マネージメントバイアウト)形式でTOB(株式公開買付)を実施。長谷川常雄氏を含む一族もTOBに応じた。長谷川氏は経営権を手放し勇退。同社は07年3月に予定通り上場廃止となった。そして、その3年後の10年8月、当時のコカ・コーラウエストがキューサイの全株を引き取ったのである。冒頭の長谷川常雄氏一族がM&Aで握った金とはこの一連の過程でのものである。

 07年から85歳で亡くなるまでの故人・長谷川常雄氏の12年間の暮らしぶりはいかがなものであったのか?関係者の話を総合すると最初の5年間はロンドンでの生活に満足していたようであるが、望郷の気持ちが高まり、帰国して日本で滞在する時間が長くなったようだ。加えて最近の5年間は病気と老衰が進み、東京での生活が主体になっていたようである。波乱万丈の勇者は85歳の人生の幕を終えてしまった。合掌。

 5月25日、故・長谷川常雄氏のお別れ会が行われた。最後に一言、追記する。

 長谷川氏は相続対策でロンドンに逃避されたのである。売国奴という言葉を使用するつもりはありませんし、その資格も持ち合わせていません。ただ最後まで首尾一貫の姿勢を貫いていただきたかった。「ロンドンに骨を埋めるべきであった」と。

(つづく)

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