2024年04月25日( 木 )

日韓交流よもやま話(2)

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福岡県日韓親善協会 副会長/ムライケミカルパック代表 村井 正隆 氏

進藤一馬氏、安重根の碑と対面

 今日は釜山の韓日親善協会の皆さまと慶尚南道の親善協会の皆さまが来ていただいていますが、福岡県日韓親善協会が発足して、最初に釜山の親善協会と姉妹関係をもたせていただきました。その後、慶尚南道の親善協会とも、姉妹関係をもたせていただいたわけです。

 福岡市が、釜山広域市と関係をもつことになったのは、桑原市長の時代です。その前のことを申し上げますと、進藤一馬市長から「村井さん、ソウル市長は知りませんか」と言われ、私が「知ってます」というと、「ぜひ連れて行ってくれ」ということになりました。

 「どうしてですか」と聞くと、「自分が市長の時に、韓国とのパイプをぜひつくっておきたい」と言われたので、私がご案内することにしました。

 韓国に着くと、「安重根の碑があるはずだけど、知りませんか」と聞かれました。安重根の碑は、ソウルの南山という小高い丘のような山にあります。

 安重根という人については、ご存知だと思いますが、当時の朝鮮統監だった伊藤博文をハルビンの駅で射殺した人です。この人は韓国では国士といわれ、非常に尊敬されています。一方、日本では、「とんでもない奴だ」ということになっています。この人が、拘留されているとき、墨がないから自分の二本の指を自分で切断して、そこから出る血で書を書いたそうです。その血書が、大きな石碑に刻み込まれ、安重根という名前とともに、欠損した指の手形まで彫られているのです。

 そこに進藤市長をご案内しますと、ジーっと見ておられました。進藤市長は(日本の民族派団体でもあった)玄洋社の最後の社長でもありました。立場は違えども、やはり尊敬の念をもっておられたのではないかと思いました。その(石碑の)字は、誠に立派な字でして、決して暴漢とかのレベルの人ではないと感じました。

 全斗煥大統領政権になって、「(大統領の)弟の全敬煥さんを知りませんか」ということで、「知ってます」と答えると、「ぜひ連れて行ってくれ」といわれましたので、その時は(農村振興を行う)セマウル(運動中央部会)の会長でありましたが、すぐにご案内しました。それで、非常に喜ばれて、2階が執務室でしたけれども、我々が帰る際は進藤市長の手を引いて、車まで見送りしていただきました。車に乗りましたら、進藤市長が、「村井さん、ギョンファンさんというのはよか人ばい」と言われました。

 全敬煥さんは大変立派な方です。なんで私が知ってたかというと、朴大統領のころ大統領警護室におられて、全斗煥政権ができて、辞められましたが、そういうところから存じていたということで、進藤市長を2度、ご案内いたしました。

 その時に、今の韓国福岡総領事館の場所が、決まりました。中国総領事館と同じならびにありますが、その角地に韓国総領事館と韓国総領事公邸が建っています。その時の総領事は金権萬でした。通常であれば2年ほどで総領事は代わりますが、領事館の建設があったので、金総領事は約3年半おられたと思います。

(つづく)

<プロフィール>
村井 正隆(むらい・まさたか)

 福岡県三井郡北野町(現・久留米市北野町)出身。県立久留米高等学校卒。米国ニューポート大学大学院経営博士課程修了。1967年4月、ムライケミカルパック(株)を設立。99年、福岡市より市政功労者表彰。2007年、大韓民国より修交勲章崇禮章を叙勲。18年11月より公益財団法人キワニス日本財団理事。

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