2024年04月16日( 火 )

劉鍾海元大統領顧問との思い出~DEVNET/JAPAN理事長・明川文保氏

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 1986年アジア大会、1988年ソウル五輪の開催資金確保に当時韓国は苦しんでいた。そこで東京銀行頭取の柏木雄介氏に海外経済協力基金の理事長、安倍官房長官秘書源氏田重義氏に総務部長、吉田博氏に調査第2課長になって頂き、韓国のカントリーリスクランクB3をA1に格上げすることに尽力してもらった。

 その結果、韓国はIMFからの資金調達が可能となり、危機を乗り切れることとなった。韓国はその受け皿として日海財団を創設、慮泰愚大統領の義弟の琴震縞氏に初代所長に就任してもらい、日本との関係を円滑に進める礎を作った。

 また五輪後は不景気になるとの宍戸駿太郎氏の考えに基づき、都市銀行頭取会会長、日本長期信用金庫頭取の杉浦氏を団長とした使節団が編成され、約1兆3,000億円ものお金を韓国に貸し込みに行った。貸し込み先は、私がセマウル本部や農漁村開発公社等を紹介した。不況に対する地方の人材受け入れ策として、新たに住宅供給公社を作り地方の住宅確保を図り、1次産業で故郷に帰って働く労働者を吸収した。

 安養カンツリーで劉鍾海先生とサムスングループの李会長と3人でゴルフをしたことも思い出にある。昼食の時、李会長は、これからはコンピューターの時代になるから、若い人たちを育てるのが楽しみだということをおっしゃっていた。その時、田舎に高速通信網を敷こうと劉鍾海先生と話していたが、李会長はその話に興味を持ち、すぐに快諾し実行に移してくれた。それが今のサムスン電子となっている。

 サムスン電子に関しては第2回の日韓フォーラムにも出席頂いた申氏が初代社長につかれたことも深い緑を感じる。

 劉鍾海先生のご子息が日本に留学していた時、結婚の仲人をしたことも思い出深い。

 また、40数年の長いお付き合いをさせて頂いているので山口県、沖縄県、鹿児島県などを一緒に巡るなど様々な苦楽を共にしたことも思い出す。

 私自身が衆議院議員の安倍晋太郎私設特別秘書だった時代を振り返り、安倍晋太郎先生が総裁選に出馬した際、『新日本創造論』(清和会・政策委員会編集、安倍晋太郎監修)を韓国語に翻訳していただいたこともとてもありがたかった。

 近年、長崎の対馬に韓国人観光客が200万人程来ているが、対馬側はあまり受け入れに積極的ではなかったので、劉鍾海先生から釜山の市長と税関長を紹介いただき、釜山の港を大幅に拡張し、そこで韓国の観光客が免税品を買って、一晩、対馬に観光に行き、翌日、帰国の際に免税品を渡すという仕組みを作った。その他の免税品とこの売り上げが伸びたことで韓国はコスメ関係の産業が飛躍的に伸びることとなった。

 私は昭和62年頃、活魚水槽を作り全国的に広め、その取材映像もNHKで大きく放映された。その頃、世界の最先端技術だった海流水槽技術を劉鍾海先生を通じて韓国に導入した。韓国の造船業はそれをきっかけに大きく伸び、今では日本を凌駕するまでに至った。釜山のコンテナヤード建設も丁ー権元国務総理と劉鍾海先生と一緒に運輸大臣、運輸省の事務次官と連携して作ったことも記憶している。

 また、韓国の統一地方選挙の方法を日本から導入したのも、安倍晋太郎先生の指示により丁ー権元国務総理と劉鍾海先生に私がメッセンジャーをしたことが大きく貢献した。

 劉鍾海元大統領顧問は、10月25日に開催される、朴正煕元大統領(パク・チョンヒ1917年11月14日ー1979年10月26日)の39回追悼記念式典で、国を代表して追悼文を読むことになっている。その原文案を頂戴した。

 以下に追悼文の韓国語原文と日本語訳を添付する。

※クリックで詳細を見る

追悼の辞(日本語訳)

 本日で逝去39周年となりました。

 謹んで朴大統領を尊敬する一人の行政学者が閣下の霊前に立たせていただきます。

 大統領は我が国の近代化に集中的に真心を挙げてハンガン(漠江)の奇跡を成し遂げ、そのおかげで現在われらは世界中どこからでも認められる先進国のならびに立ちました。我らが極めている世界最高水準の生活質も朴大統領が作ってくれた基盤に基づいたことで今一度感謝の心をさします。

 閣下のこの方面での努力は既に中国の鄧小平、シンガポールの初代首相であるリー・クアンユーが朴大統領の経済的業績、愛国心、質素な生活、強靭な人品を非常に高く称賛しました。真に閣下は我が国民の心中へ非常に高いプライドを植え付けてくれました。

 冒頭に私が行政学者と紹介したのは理由がございます。閣下は行政学分野で至大な功績を立てました。その中でいくつかを紹介いたしながら心の中から湧き出る感謝の言葉を申し上げます。

 先に大統領は我が国の経済開発の為に経済開発5か年計画をつくりました。そしてその実践構造として1961年7月22H経済企画院をつくり、企画予算処と復興部を統合する、それこそ韓国行政近代化の先頭に立ちました。

 その次に行政文書の横書きを1961年10月実行、それまで日本式縦書きを変える英断を下しました。これは実に重大で輝く行政近代化の断面です。同時に大統領はハングルタイプライターを奨励され公文書の近代化、そしてまもなく発展した政府電算化の先頭に立ちました功労者であることを私は存じており、また高く評価したいと思います。

 続いて大統領は1961年10月調達庁及び調達特別会計を新設、当初外資に限り購買していた外資庁を政府内資購買まで出来るよう調達庁に拡大改編しました。

 朴大統領はまた複式薄記による会計制度採択で大韓民国政府会計制度の現代化を行いました。

 朴大統領は1962年1月基金制度(予算会計法)を導入する事により大韓民国が将来必要とする財源拡充法案を用意され我が国の収入支出を直接連携しました。朴大統領の慧眼がなかったらこんなことは準備できなかったはずです。

 最も重要なことは現在、力を入れる監査院を1963年3月に設立、会計を担当する審計院と公務員の紀綱を取り締まる監察委員会を統合することをやりました。このことは当時公務員の不正腐敗が非常に深刻でそれを防止する為に朴大統領が下した勇気ある英断です。その英断を高く評価します。

 又、もう一つ特記することは朴大統領が訴請審査委員会を新設(1963年4月)、公務員の権益保膜の為、心労した功績を高く評価します。重ねて強調いたしますが朴大統領は5.16軍事クーデター(1961年)以後のこの国の行政を世界的水準まで高めたことはハンガン(漢江)の奇跡に劣らず評価されることです。

尊敬する朴正熙大統領

 長く前大統領が強調した、我らも努力したら豊かな暮らしが可能だとしたセマウル連動に心酔して、本人も我が大学セマウル研究所長を何年も務めました。特に大統領が大切にしていた座右の銘、「自分に厳しく、他人に優しく」という意味の故事成語、持己秋霜待人春風のお言菓が私は好きです。大統領はいつも信賞必罰と天は自ら助くる者を助くの信念で全国民を陰地から陽地へと導いたことを忘れてないです。勤勉、自助、協同のセマウル運動精神は我らを経済的に豊かにしたことだけでなく我々より貧乏な多くの他国民へ希望を与え、セマウル運動の国際化が今でも世界各地で続いています。彼らは皆、朴大統領の精神と方法論に感謝しています。

 私が大学セマウル研究所長の時に特にEROPAと呼ばれる行政学の国際連合公共行政機構(Eastern Regional Organization for Public Administration、本部:フィリピンマニラ)でこのセマウル運動の優秀さを文章で数回発表したこともあります。

 又は行政学会の規模と歴史的に見て世界一番大きい米国行政学会(ASPA)での数多い学術活動の中で我が国のセマウル運動が最も多く発表され良い呼応を受けました。セマウル運動は朴大統領の創造性の発揮と認められこの世を去った後にも活発にたくさんの国へ伝授されています。

 続いて朴正熙大統領の歴とした業績は南北格差に現れています。

 朴大統領は大韓民国の政治体制を自由民主制また市場経済制度をはじめから堅持、ハンガン(漢江)の奇跡を成し遂げました。一方で北朝鮮は人民民主制(中身は3代世襲)と統制経済制度を選びました。長い間このような対決が続いてきたがその格差は日本の矢野恒太記念会で発行する世界国勢図会の発表によると、2015年基準GDPで韓国は1兆3千7百7+8億7千3百ガドル(1,377,873百万ドル)に比べて北朝鮮は162億8千3百万ドル(16,283百万ドル)と約70倍であり、一人当たり所得面では韓国は2015年基準27,525ドル、北朝鮮はわずか625ドルで我が国民が北朝鮮人より約40倍高い所得を持っています。これは朴大統領がつくりだした対決構図から我らの完璧な勝利を述べることです。

 行政学を一生学んだ私としては今一投度朴大統領に感謝と尊敬のお言葉を申し上げます。日本で毎年発行されてるこの矢野統計は過去28年間発行された国勢に関して一番番信用される総合統計資料です。

 南北の格差が驚くほどの差を持って来たのは言うに及ばず、朴大統領が素睛らしい政治構造と経済構造を創ったおかげです。我が社会の一部で朴大統領が独裁を行い、親日派と非難する部類がいますがこれは大変誤って話にならない誹謗です。我が国を北朝鮮と比較すると我が国は住みたがる国で、韓国に越えて来た太永浩氏の言策を借りると、北朝鮮は人民民主主義を標榜するが「王政は有るが人民は無し。奴隷ばかりいる」との言葉が心に強くぶつかります。

 このように経済的に最貧国の北朝鮮が我々ら民族同士の方式で過ごそうとのことに顔色がみえます。これは多少問題があります。今まで北朝鮮はロケット、それこそ大陸間弾道弾(ICBM)で我らと米国を脅威し、また相当な数の核爆弾も持っているとして米国とUNの強力な規制を受けていましたが、今年6月12日のシンガポールで米北間首脳会談を通じて一様世界平和が維持されてます。

 尊敬する朴正熙大統領。このような状態で我らは果たしてどのようにしたら良いでしょうか。私の愚案では米国が北朝鮮の核を完全に除去して、非核化後、UNでこれを確認後に我らと北朝鮮の関係改善を行うことじゃないでしょうか。朴大統領の慧眼と素晴らしい判断が大変期待されます。

 言い直せば我らが民族同士の南北平和は先に北核が除去された後に段階的に行わることでしょう。韓国と北朝鮮は政治体制が余りにも大きいな差があります。

 本日は朴正熙大統領閣下が成し遂げた偉大な数多い業績中のその一部を申し上げましたが重ねてその偉大さを想起しながら閣下の遺志を正しく継承する私たちになることができるように閣下の霊前に固く誓います。

 閣下と陸女史の永生福楽享受をお祈りします。

2018年10月25日
延世大学校名誉教授、(前)韓国行政学会長
劉鍾海伏拝

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