2024年04月29日( 月 )

日本版「#MeToo」裁判~女性蔑視・男尊女卑の日本社会(12)

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 しかし、もともと存在しないものを希求したもので、やがてこの学説は消滅した。現在の民亊訴訟法の通説的学説である要件事実論では、要件事実について主張責任と立証責任を認め、主張する要件事実については主張者が立証責任を負うとして、単純に原告が立証責任を負うとする古典的立証責任論からはいくらか進歩している。

 しかし、この要件事実論も実際には複雑な構造となっている。それは原告の主張立証に対する反論としての被告の主張立証を抗弁と構成し、さらにその抗弁にたいする原告の反論を再抗弁としてやはり主張責任と立証責任の要素からなる訴訟行為の連続行為と構成している。これは古典的証明論で、証明責任の転換と呼ばれていたものである。原告被告の主張立証が尽きた時点で弁論終結となり判決が言い渡される。

 一方、刑事裁判は民事裁判の当事者対審構造とは歴史的にも沿革的にも大きな差異がある。犯罪事実の立証責任は検察官にあり、それ故、検察官には証拠収集のための強制捜査権が認められている。どのような証拠で立証するかも検察官の裁量で決定しており、収集した証拠をすべて開示する義務は無かった。

 もちろん、被告人には圧倒的に証拠の収集力がなく、無罪を主張するための証拠収集力もほとんどゼロに等しい。このように当初から攻撃防御力に大差のある当事者であるため、公正公平な裁判遂行のため、民事訴訟にはない被告人保護の原理がいくつか存在する。

 犯罪要件事実について「厳格な証明」が要求されるというのもこのような事情を背景とした法理念である。これと科学的事実の証明に必要な無矛盾性と論理性の要求は民事・刑事の区別があるはずもない。「疑わしきは被告人の利益に」という法格言も、検察官に、厳しい無矛盾の合理的証明が要求されることを反映したものである。

 本件事件の特異性は検察がいい加減な証拠で有罪としたことが争われているのではない。明らかな有罪の証拠があるにもかかわらず、公訴を提起しないという、公訴権の濫用が問題とされている。要件事実の証明の問題ではなく、いわんやその程度の問題ではない。裸の王様たちは、そもそも論点を取り違えている。それは自分で、現在までに公開されている証拠資料を検討してみれば自ずと理解できることである。

 今回の推理作家氏は、訴訟法的真実という表現で、民事判決と刑事判決の齟齬・矛盾を説明した。筆者は訴訟法的真実と科学的真実と区別することそのものが理解できないでいる。訴訟法的真実とは単に、裁判官が宣言した事実に過ぎず、真実とは無関係なものであると聞こえる。そうであれば、真実という言葉自体を使用しない方が市民には理解しやすいのではないか。そうであれば、裁判官ごとにいろいろ宣言事実はあり得るだろう。

 しかし、それは同時に真実が公然と無視されることも意味している。真実を基にしない判決に正義は存在しない。

(了)
【凡学 一生】

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