2024年05月13日( 月 )

元会長(ゴーン)の国外逃亡~生き残れるか日産グループ(1)

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 国外に「逃亡」した日産自動車のカルロス・ゴーン元会長が残した「光」と「影」から、日産自動車の今後を検証していくことにしたい。

 【表1】を見ていただきたい。カルロス・ゴーン元会長(以下、ゴーン)の「光」の軌跡推移表である。

https://www.data-max.co.jp/files/article/20200205-hamasaki-01.jpg
※クリックで拡大

~この表から見えるもの~

 1999年3月27日、フランスの自動車メーカー「ルノー」は、日産自動車の株式を36.8%、日産ディーゼル工業の株式22.5%を取得するとともに、日産自動車の欧州における販売金融会社も取得。継続的な販売不振により、2兆円あまりの有利子債務を抱え、倒産寸前だった日産自動車にとっては厳しい条件での資本業務提携だった。

 ・同年6月、ルノーのルイ・シュヴァイツァー取締役会長兼CEOの指示により、ゴーン副社長がルノーのポジションを兼務したまま、日産自動車の最高執行責任者(COO)に就任。

 取締役ではないゴーン最高執行責任者が「日産リバイバルプラン(NRP)」を策定。「社長以下の役員を指揮命令する」という、あたかも、敗戦後に進駐してきたダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官を連想させるかのような異常事態だったようだ。

・2000年6月20日に開催された日産自動車の株主総会で塙義一社長が解任され、正式にゴーン社長(COO)が誕生。

 2001年6月21日、ゴーン社長は社長兼CEOに就任すると、
(1)7工場24プラットフォームを4工場15プラットフォームに縮小
(2)販売拠点の約1割にあたる355店舗を閉鎖
(3)国内の販売会社の約2割に当たる18社を削減
(4)2万3,000人の従業員を削減
(5)5,300億円の資産を売却』
など、大ナタを振るって業績を急回復させている。

 2003年6月19日、今まで空席だった会長兼CEOも兼務。公用語を英語にするなど日産自動車の経営権を一身に集中したことが読み取れる。

 2005年5月、ルノーのルイ・シュヴァイツァー取締役会長兼CEOの取締役会の会長就任を受け、取締役会長兼CEOとなり、ルノー・日産自動車2社の絶対的な権力を掌握。

 2016年12月14日、燃費偽装問題が発覚し、三度目の経営危機に陥った三菱自動車工業を即決で傘下に加え、代表取締役会長に就任。

<まとめ>

・15年以上にわたり、日産自動車に君臨するとともに、フランス、日本や英国から褒章されるなど、英雄的な立場に就いていたゴーン社長・会長兼CEO。「栄(光)」の人生を歩んでいたゴーン氏だったが、「影」を助長させたのは、2008年に発生したリーマン・ショックだったようだ。

 私人のゴーン氏が、『私的な通貨のデリバティブ(金融派生商品)投資で生じた約17億円の損失を日産に付け替えることを銀行に容認させた(社内調査報告)』ことが、日産自動車を私物化する始まりだったと推測される。それがやがてブーメランのように「影」となって跳ね返ってくるとは、夢にも思わなかったのではないだろうか。

(つづく)
【(株)データ・マックス顧問 浜崎裕治】

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