2024年05月04日( 土 )

新型コロナ後の世界~「石油・エネルギー」の行方を考察!(1)

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(有)エナジー・ジオポリティクス代表取締役 渋谷 祐 氏

 4月20日、ニューヨーク原油市場の指標となる「WTI」(ウエスト・テキサス・インターミディエート)5月物の先物価格が前週末の1バレル18ドル台から、マイナス37.63ドルに大暴落した。史上初のマイナス価格が世界を震撼させた。急落の原因は、新型コロナウイルスの感染拡大が「パンデミック」になり、世界経済が急減速したこと、それに輪をかけて、OPECとロシアなど「OPECプラス」産油国の協調減産体制が崩壊したことにある。その後、一時1バレル30ドルまで持ち直すなどしているが、先行きには不透明感が漂う。渋谷 祐 (有)エナジー・ジオポリティクス代表取締役・(一社)中国研究所 21世紀シルクロード研究会 代表に聞いた。

供給・需要の両面が同時に、その影響を直接受けた

 ――「新型コロナウイルス」(以下、新型コロナ)後の石油・エネルギーについてうかがいます。

 渋谷 祐氏(以下、渋谷) 新型コロナの影響がエネルギーの世界に飛び火してきました。その影響は、石油のサプライチェーン(原油の調達、輸送、生産、在庫管理、配送、販売、消費)のすべてにおよんでいます。現時点でも、新型コロナの正体そのものがまだ明確にはつかめていまないため、世界中の都市でロックダウン(都市封鎖)や活動の自粛が行われ、陸・海・空の交通アクセスが損なわれています。

 今回の新型コロナの恐ろしさは、供給・需要の両面において直接かつ同時に影響をおよぼしているということです。私は石油マンとして約50年のキャリアをもちますが、このような経験はなく、また知る限りでは史上初めてのことだと思います。基本的な危機の発端は常に供給側にあり、それが需要に影響をおよぼすという構造が、これまでの「石油ショック」などの多くのパターンでした。

アラブ産油国が25%までの段階的供給削減を発表

渋谷 祐 氏

 渋谷 1970年代の「石油ショック」のときは現地(石油連盟~外務省・在クウェート日本大使館)におりましたのでよく覚えています。73年の第4次中東戦争を機に第1次石油ショックが始まり、79年のイラン革命を機に、第2次石油ショック(ピークは10年)が起こりました。73年には、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)諸国が結束して、パレスチナ問題で、「反アラブ」政策を採る諸国に対して、石油輸出の制限を発表し、日本も「非友好国」扱いに加えられていたために禁輸リストに載せられました。その結果、5%から始まる最大25%までの段階的な供給削減計画が行われました。このときは、市場からトイレットペーパーが消え、銀座・新宿などの街のネオンサインはもちろん、東京タワーの灯りも消えました。

 73年(1次エネルギー国内供給の 75.5%を石油に依存)当時には石油連盟におりましたので、毎日夜を徹して、通産省(現・経産省)と会議し、毎日のようにデリバリー量の予測を、元売りの日本石油、出光興産(いずれも当時)などと情報交換しながら行っていたことを思い出します。
 また、当時の通産官僚が発した「高速道路を走っている車のガソリンが切れても助ける手段はない。そのような車が次々と出て来る可能性がある」という言葉が記憶に残っています。

 石油連盟には、各分野から(重油を必要とする火葬場の団体などからも)数多くの陳情がありました。当時の日本経済はまだ高度経済成長が続いていたため、石油需要も今とは比較にならないほど大きかったのです。実際、当時通産省は、大口需要家の石油・電力の消費抑制、マイカー使用の自粛、バー・キャバレー・百貨店の営業時間の短縮や灯油価格の抑制などを決め、実施しました。また、ガソリン・クーポン券も印刷して準備しましたが、幸いなことに実施せずに済みました。

 その後、日本はイスラエル軍の占領地からの撤退とパレスチナ問題への配慮を声明し、同年12月に三木武夫・副総理(当時)が特使としてサウジアラビア、エジプト、シリアなどアラブ諸国に飛び、禁輸リストからの除外を要請しました。これらの外交努力により、日本は結果的に禁輸国リストからはずされました。当時は「油乞い外交」と呼ばれました。今回のコロナ危機は世界的スケールの大きさから言って、従来とは比べものにならないくらい大きな出来事であると受け止めています。

(つづく)

【金木 亮憲】


<プロフィール>
渋谷 祐(しぶたに・ゆう)

 1942年兵庫県西宮市生。慶応義塾大学商学部卒。石油連盟入局(外国調査部、68年)、外務省入省、中近東2課配属、75年-78年、在クウェート日本大使館書記官(UAE、バーレンおよびカタール大使館書記官兼務)、北極石油(株)調査役(82年-84年、カナダ石油開発プロジェクト)、ジェトロ・ロンドン石油資源部長(88年-92年)、石油連盟環境保全課長、広報課長、外国調査部次長など(92-96年)、中東経済研究所主任研究員(2003年)、アジア・太平洋エネルギーフォーラム設立幹事・研究主幹(1996年-2003年)、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科特別研究員(06~12年)、早稲田大学総合研究機構中華経済研究所招聘研究員(10~14年)。
 現職として、(有)エナジー・ジオポリティクス設立代表(03年6月~)、MECインターナショナル・シニアコンサルタント(英国、07年~)、早稲田大学資源戦略研究所事務局長兼主任研究員(12年7月~)、(一社)中国研究所所員(11年~、21世紀シルクロード研究会世話人代表)、ウインザー・エネルギーグループ(英国、グローバルエネルギー地政学)およびキヤノングローバル戦略研究所北東アジア研究会メンバーなどを務める。

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