2024年04月19日( 金 )

なぜ、人は非オンライン会議にこだわるのか?

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「白馬会議」運営委員会事務局代表 市川 周氏

危機のなかで危機を考える

 今回のコロナショックが本格化してきた4月頃、私も本気でマスクをするようになったが、頭のなかは今年11月14~15日開催予定の白馬会議が実施できるかどうかでいっぱいだ。第1回目の白馬会議は、2008年のリーマン・ショックの最中に開催された。将に「危機の中で危機を考える」白馬会議のDNAみたいなものがこのとき、宿った気がする。そして13回目となる今年、リーマン・ショックをはるかに越えるメガトン級のコロナショック到来で、このDNAは大きく燃え上がるはずであった。

仕分けされる非オンライン会議

 そんな期待の出鼻を、精神科医斎藤環氏の「人は人と出会うべきなのか」(配信サイト「note」2020年5月30日掲載)という一文が砕いた。斎藤氏は、人と人が出会うこと。その場に居合わせること。ライブであること。face-to-faceで話すことを「臨場性の価値」と呼び、この価値は今までさしたる根拠もなしに自明とされてきたが、今回のコロナ禍ではオンライン機能が「非臨場性の価値」を突きつけているという。

 過去のパンデミック下では人間同志が接する場合、「その場にいる/いない」の二者択一しかなかった。しかしIT化の進展は、「その場にいる/いない」の間に「オンラインでつなぐ」という新たな選択肢を付け加えることになった。つまり「オンラインでつなぐ」ことで代替できる会議は、これからどんどん淘汰されていく。さまざまな非オンライン会議のもつ「臨場性の価値」が徹底吟味され、残すべき非オンライン会議の仕分けが進むことになる。はたして白馬会議は残すべき非オンライン会議なのだろうか?この会議の特徴をいくつか挙げて考えてみよう。

そこに北アルプスがあるから

 この会議は「西のダボス、東の白馬」を標榜しているように2008年創設の原点にはあのダボス会議がある。昨年まで12回重ねてきたが、参加者は一泊二日80名程の日本人であり、およそダボス会議のような国際性やスケールからはほど遠いが、我々にはスイス・ダボス村の本場アルプスにひけをとらないニッポン・白馬村の北アルプスがある。

 毎年秋、会場のシェラリゾート白馬周辺に立ちこめる北アルプスの風と匂いを全身で感じながら、年1回の熱論に没頭していく。これはオンラインでつながるパソコン画面では絶対無理だ。そうそうと結論が出てしまった気もするが、あと2つの特徴から白馬会議のもつ「臨場性の価値」を吟味してみよう。

オンラインで知的バトルはできるか?

 白馬会議では会議討議を総括するような宣言とかアピールを発表したことがない。会議の総括とか結論は参加者の1人ひとりが自分自身でつかみ取り、自分が日々活動しているそれぞれの現場に持ち帰り実践する。従って白馬会議は自己の行動エネルギーの原点となっている認識や信条を、参加者同士の品位ある知的バトルを通じて鍛えあう世界となる。これも「目と目を合わせられない」オンライン会議では、まったくもって限界がある。

 このことに関連して前出の斎藤環氏は「人と人が出会うこと、人々が集まること、膝を交えて話すこと。それらすべてが、どれほど平和的になされたとしても、そこには常にすでにミクロな暴力、ないし暴力の徴候がはらまれている。……自我は他者からの侵襲を受け、大なり小なり個的領域が侵される。それを快と感ずるか不快と感ずるかはどうでもよい。『出会う』ということはそういうことだ」といささか過激に語っているが、このような駆け引きが毎回白馬会議の参加者の間で展開されているのだと思う。

わざわざ集まって来る心意気

 白馬会議3つ目の特徴は「知的ダンディズム」の精神である。東京から白馬までの往復交通費と会議参加費を合せるとそれなりのコストがかかるが、参加費領収証の宛名はほとんどが個人名である。皆さん自腹を切ってやって来る。一日目のオープニングランチから二日目のクロージングランチまで極めて凝縮した時間のなかで議論するのを目的に、わざわざ白馬までやって来る人たちの心意気には「1人の知的個人でありたい」というある種のプライドと緊張感が漂って来る。これまたZoomやSkypeのオンライン画面では決して充足されない世界である。

 哲学者の東浩紀氏が「移動して直接集まる自由が保障されていれば人は何も頼らず自力で他人とコミュニケーションできる。人間の歴史のなかで育ててきた数ある自由のうちもっとも根底的なものといえる」「移動や集会が制限されている今だからこそ、コロナ後を見据えて、人が集まることの価値を説く理論武装をすべきだ。通信の自由がいくら進んでも、集会の自由の替わりにならない」(『日本経済新聞』4月15日付)と言っているが、白馬会議が「移動して直接集まる自由」への欲求を持ち続ける人々の1つの場であり続けることを願いたい。


<プロフィール>
市川 周
(いちかわ・しゅう)
1951年長野県生まれ。1975年一橋大学経済学部卒業。同年三井物産入社。香港三井物産、米国三井物産(この間、ペンシルバニア大学ウォートンスクールマネジメントプログラムコースを履修)を経て、1990年三井物産貿易経済研究所(現・ 三井物産戦略研究所)創設に参画。91年同研究所主任研究員、96年同研究所コンサルティング事業室長。97年に三井物産を退職、人材開発コンサルティング会社「市川アソシエイツ」を設立。98年石原慎太郎氏と(特非)一橋総合研究所を設立。2006年(社)世界経済研究協会専務理事、08年11月「白馬会議」を創設。
著書として、石原慎太郎氏との共著『「NO(ノー)」といえる日本経済』(光文社)、『外される日本』(NHKブックス)、『選択する日本経済』(共著 東京経済情報出版)、『ライオンリーダーになる19の鉄則』(中経出版)、『中国に勝つ』(PHP研究所)など多数。

▼関連リンク
白馬会議:http://www.hakubakaigi.com/

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