2024年04月20日( 土 )

なぜ朝鮮戦争は終結されないのか

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 NetIB-Newsでは、政治経済学者の植草一秀氏のブログ記事から一部を抜粋して紹介する。今回は「孫崎享氏の新著『朝鮮戦争の正体 なぜ戦争協力の全貌は隠されたのか』が朝鮮戦争の知られざる真実に光を当て、戦後日本の根本がなし崩しで破壊された問題を朝鮮戦争とのかかわりのなかで描き出している」と訴えた7月14日付の記事を紹介する。


名著『戦後史の正体』(創元社)
の著者である孫崎享氏が新著を刊行された。

朝鮮戦争の正体』(祥伝社)

一般には、1950年6月25日に金日成率いる北朝鮮が事実上の国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵攻して勃発したとされる朝鮮戦争。
その朝鮮戦争の知られざる真実に光を当てた。

開戦から70年が経過した。
新著は朝鮮戦争開戦70年に合わせて刊行されたもの。
1953年7月27日に国連軍と中朝連合軍は朝鮮戦争休戦協定に署名して休戦に至った。
北緯38度線付近の休戦時の前線が軍事境界線として認識され、朝鮮半島は北部の朝鮮民主主義人民共和国と南部の大韓民国の南北二国に分断された。
しかし、53年の停戦は終戦でなく、現在も戦争状態は終結されていない。

(略)

孫崎氏の尽力によって現代史における新しい次元が開けている。
敗戦後の日本の基本方向を定めたのが日本国憲法だ。
1946年に憲法が制定され、1947年に憲法が施行されていなければ日本の命運はまったく違うものになったはずだ。
いまよりも、はるかに悲惨な日本の現状がもたらされていたと考えられる。
日本を辛うじて現在の状況に留めている最後の砦が日本国憲法であると評価できる。

孫崎氏も一連の著書のなかで強調されているが、敗戦後日本には重大な屈折点、転換点があった。
戦後民主化を突き進んだ日本が急転回を遂げた。
戦後日本は1947年から52年にかけて急転回を遂げる。
この現象が「逆コース」と表現される。

孫崎氏は新憲法の柱を、
1.国権の最高機関を国会とする、
2.国民はすべて基本的人権の享有を妨げられない、
3.戦争を放棄し、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」、
であるとする。

ところが、冷戦の深化によって、米国は基本外交方針を転換する。
これに連動して、米国は日本を極東の拠点として、戦争しうる国にしようとした。
日本国憲法の3つの柱を捨てて逆の方向に進んだ。

(略)

『朝鮮戦争の正体』のサブタイトルは「なぜ戦争協力の全貌は隠されたのか」である。
同書は朝鮮戦争の実像を、各種資料から正確に再評価する歴史書であるとともに、戦後日本の根本がなし崩しで破壊された問題を朝鮮戦争とのかかわりのなかで描き出す警世の書にもなっている。

(略)

孫崎氏は朝鮮戦争について、
「この闘争(朝鮮戦争)は本質的には内戦的性格のものであるが、しかし朝鮮は真空のなかに存在していたのではなく、ヘゲモニーを争う強大国と、朝鮮民族自身の力では如何ともしがたい外力の渦巻きのなかにあった」
とするシカゴ大学歴史学学部長のブルース・カミングス教授の見方を重視する。

1945年9月に仁川に上陸した米国の占領軍は9月から12月にかけての3ヵ月間に
1.日本の朝鮮総督府の官僚機構を復活させ、そのなかで勤務していた朝鮮人職員を呼び戻し、
2.日帝時代の警察機構を復活させて朝鮮人警察官を復職させ、
3.南朝鮮に局限された国防軍を創設し、
4.南だけの単独政権樹立に向けて動き出した。

この動きは1948年以降の日本における「逆コース」を先取りする動きであった。
背後には、米国国務省政策担当者の思惑があった。

※続きは7月14日のメルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」「なぜ朝鮮戦争は終結されないのか」で。


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