2024年04月18日( 木 )

【凡学一生のやさしい法律学】自民党総裁選の意味するもの(3)~まとめ(前)

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日本は本当に民主主義の国か

 不思議なことに、アメリカと日本では同時期に行政権の長の選挙が行われることになった。アメリカでは一般市民による選挙であり、日本では一般市民が投票しない選挙である。トランプが当選しようがバイデンが当選しようが、これは誰の目にも民主主義社会の投票結果としての正当性が承認される。

 一方で、さすがの超売れっ子政治評論家の橋下徹氏も、テレビに毎日出演して独自の解説を展開する田崎史郎氏も、「総裁選で誰が当選しても、民主主義社会の投票結果として正当性が承認される」とは言わないだろう。あくまで自民党の総裁の選挙だからである。

 「憲法の定める議院内閣制の下、自民党の総裁が結果として日本の総理大臣になるのであり、総理大臣を国会で決定する民主主義手続に政治的正統性の根拠がある」と主張するのがせいぜいの「詭弁」だろう。国会における首班指名手続は誰の目にも結果が明らかであり、完全な「儀式」でしかない。これに政治的正当性を認めるのだから、困った政治評論家である。

 政権与党の政治家は「議院内閣制や、憲法の定めとそれに従うことが民主主義政治としての正当性の根拠となる」と主張する。

 しかし、明治憲法による政治を体験している日本人なら、憲法に従うことが必ずしも民主主義政治とはならないことを理解しており、これが間違った議論であることは明白である。必要なのは、憲法の内容が直接、民主主義に合致しているか、齟齬・矛盾していないかという論理的検討である。

 議院内閣制は、行政権の長を立法権の執行代理人である国会議員に選任させる制度にすぎず、人類が民主主義・国民主権を勝ち取る歴史のなかで生まれてきた政治制度の1つにすぎない。あくまで制度であるからこそ、その運用内容が検討されなければならない。

 現在の日本国憲法を詳細に確認すると、三権分立の思想、理想は完全に踏みにじられている。それは日本国憲法の制定当時の世界政治・国内政治の事情に左右された結果であり、憲法は制定当時の政治的力学関係の産物であるという本質から逃げ出すことはできない。

 現在の国際政治関係、国内政治関係から憲法を解釈する論理の1つが「憲法変遷論」であるが、この論理は主に憲法第9条の戦争放棄条項に関する政治的、学問的な対立のなかから生まれた。憲法で改正すべき条項は何も第9条だけではない。

 議院内閣制こそ、自民党独裁政権を永きにわたって実現させ、当初の民主主義の理念からは予想もできない国会議員の利権稼業化が起こり、大量の世襲議員を生み出した。議員が多選し、くわえて数代にもわたって相続財産として議員の地位を相続するため、出自により身分が固定されていた封建時代と何も変わらない。このことも、「偶然の事実に過ぎない」と有名政治評論家らはいうのだろうか。

 かつて野党のホープだったが、野党から与党に鞍替えしたある議員が、与党に多数在籍している世襲議員の強さを礼賛していることから、議員の地位の経済性を重視している野党議員の本性が垣間見え、政治の絶望的状況は極めて深いことを思い知った。

(つづく)

(2)
(3)-(後)

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