2024年04月21日( 日 )

【凡学一生のやさしい法律学】香港で起きていること~国家統治の基本となる三権分立(前)

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 国の政治状況には、騒乱期と安定期がある。騒乱期には政治的争点は直ちに露見され、騒乱を激化させる。一方で、安定期には本来であれば政治的争点となる「不都合な真実」を支配勢力(権力者)がひたすらに隠蔽して、権力の安定、継続を企図する。 
 日本は不幸なことに、自民党による長期安定政権である。民主党による政権が短い期間はあったが、安倍晋三首相から公然と「悪夢の時代」と批判され、「不幸な時代」という烙印が押されている。国民は、何の証拠もない印象操作にまんまと騙され続けている。
 以前の記事では、香港での政治問題である公訴権の在り方とその実情を、日本の現状を理解するための格好の「政治学上の参考例」として報告した。今回も、国家統治の基本となる三権分立論に関する香港での騒乱を解説する。

(1)騒乱の概要

 9月1日、香港の林鄭月娥行政長官が「香港は三権分立ではない」と明言したことが報道された。香港は行政長官をトップとする政治制度であることを明言したという。一方で、香港の最高裁長官は2014年に香港基本法(ミニ憲法)には「三権分立の原則」が明示されているとの見解を明らかにしており、今後論議を呼ぶという報道があった。(9月1日付『産経新聞』を基に筆者が要約)

(2)概念の整理

 権力分立論は歴史的であり、沿革的な政治制度概念であって、自然科学における定理や法則のような厳密・精緻な意味はない。そのため、その正当性や普遍性を「証明」するという性質のものではない。曖昧な概念であり、なかでも「分担」と混同されることが著しく多い。

 三権分立の政治思想は、ヨーロッパ発祥であり、「西側の制度」であることは確かだ。しかし、発祥・起源が西洋であろうが、東洋であろうが、民主主義原理に合致する思想や制度は政治の普遍的な原理として人類共有の財産である。習近平国家主席の否定論には、当然ながら論理性がまったく見られない。

 注目すべきことは、概念(理念)と実際の権力の執行形態が乖離している点である。権力の分担執行という外形において共通する方法を取っているとしても、権力の源泉が国民主権に基づくものか、そうでないかという根本的な問題に目を向けるべきである。

 具体例を挙げると、君主主義憲法であった明治憲法下でも権力の分担執行はあったが、この制度を、国民主権を権限の源泉とする現在の分担執行と同じように三権分立と言うことはできない。つまり、三権分立とは、その権限の源泉が国民主権に由来するもののみをいう。その他の権力執行形態で分担されていても、三権分立とは言わないのだ。

 さらに三権のバランス関係は、必ずしも平等、対等であることは必要ではない。具体的には、どの程度の抑制と均衡があれば、対等といえるかということは、客観的に決定することはできない。林鄭長官は行政権が優越すると主張しても、それが憲法に明言されていればまったく問題はない。その権限が国民に由来しているかということが、本質的には重要だからである。

 日本でも、立法権が行政権の長を決定する(議院内閣制)。この関係は決定的なもので、論理的には立法権が行政権に優越する。しかし、実態は真逆である。国政に関する権限は圧倒的に行政権に所属しており、立法権は文字通り、立法作業のみとなっている。加えて、今の国会議員には立法能力(法律学や法的思惟力など、立法に必要な知識や経験)はなく、立法作業は行政権執行の各省庁がほぼ担当している。実体がないといえるのは、立法府である。

 日本の公教育では外形的な権力分担を「三権分立である」と平然と教え、その実体にまで立入ることはない。そのため、司法権の源泉となる権限が主権者国民にあっても、権力の執行者である裁判官の任免では、国民は関与する余地を一切もたない。裁判官の公選制が基本的に存在しないことも、国民の声をまったく無視した超然裁判官が出現する理由となっている。

 明治時代は、高等文官試験に合格した官吏が司法省に所属して、司法権を執行する裁判官となっていた。司法省は内閣の一部であり、内閣総理大臣は天皇が任命するため、明治憲法下の内閣は国会から完全に独立した「超然」内閣と呼ばれていた。現代は、多数の議席を締めて国会を支配する自民党という集団でつくり上げた「絶対君主」が内閣総理大臣を任命し、内閣が官吏としての裁判官を採用、任用していることが事実である。筆者の眼には今の日本も、明治時代とは何も本質が変わらない(国民主権の不在の)権力分担制度の国家であるように見える。

(つづく)

(後)

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