2024年03月29日( 金 )

【凡学一生のやさしい法律学】有名芸能人の政治的発言(6)

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党利党略の例外ではない国会の懲罰委員会

 もともと利権を目当てに議員を目指し、利権探しに奔走する国会議員にとって、国会の運営自体が党利党略、派利派略となっており、懲罰委員会もその例外ではない。多数決制度が「仲間内のもみけし」に利用され、自律や自浄などは画餅にすぎない。厳密にいえば、検察官や裁判官は刑事司法権を独自に執行しているため、国会でどのような懲戒処分が出されようとも何の影響も受けない。刑事裁判手続を何も知らない国民に対してのみ通用する「イメージ影響論」である。

 純然たる解職手続であるから、解職のみで必要十分である。公民権停止などの付随処分、付随効果はまったく必要ない。4年のうちに選挙があるため、迅速な決定が必要となる。現在の司法手続きには判決期限の規定がないため、裁判官の自由な訴訟指揮により何十年もかかる裁判が実在する。しかも現行の裁判所は司法権の執行機関であって、国民主権の国民による直接の執行機関ではないため、国民の国民による国民のための国会議員解職制度を設置する必要がある。

 解職請求理由についてはとくに制限を設ける必要がなく、違法犯罪行為はもとより、「不適切ではあるが違法でない」行為も請求理由となる。審理も、正確な犯罪構成要件の該当性の認定、厳密な違法性の認定も不要で、数十人の国民のなかから無作為で抽出された審査員による多数決で決定できる。完全な素人の素朴な違法感覚、倫理感覚でよい。選任(選挙)がそのような感覚意識で行われているからである。審決は審査員の無記名投票で決定する。

 請求人については、当該選挙区の選挙権者の1割以上を要件とする。このような制度があれば国会議員も品行方正になり、選挙人も真剣に国政を考えるようになるだろう。

 請求は非行であればよく、何らの制限がないが、請求理由が簡明であること、加えて真実であることを証明する証拠の添付が必要である。被請求人である不品行な国会議員の弁解は一切認めない。請求人の主張が虚偽で、証拠が偽造されたものなどの場合は、請求人に対して別途、刑事告訴や民事賠償請求をすればよい。

 審査員はいかなる場合も無責任である。素朴な自己の感覚・感情に従うこと、買収による投票を行わないことなどで十分である。請求の内容に疑義がないようにするため、審査委員会は会議を行うが投票は無記名の秘密投票である。審決は一審制で確定し、誰も争うことはできない。

 以上のような制度論を、次世代の人々が議論するのが筆者の夢である。

「権威者は正論」がまかり通る世の中~言論は内容の当否が問題

 最後に、本稿の主張の目的は、権威主義による発言評価の害悪である。つまり発言者の属性を優先的に考慮して、評価は内容自体にはおよばないという本末転倒の思考・事実認識への批判である。

 もし小泉氏と同じ主張を弁護士がしても新聞記者は誰も気にしないが、女優の小泉氏が主張したからこそ、『アサヒ芸能』の誤った報道も出現した。この思考方法の恐ろしい点は、権威に弱いということである。肩書きの立派な人間の言論は的外れな議論であっても世間に通用し、信頼者や信奉者が生まれる。結局、権威者は正論で、非権威者は誤った議論と格付けされるまで達する。

 言論は、その内容の当否が問題である。しかし、その内容の当否を判断するだけの知的教育や主権者教育を受けていないために、事実上、判断ができない。そうであれば、そのような無知の状態をつくり出した社会、公教育制度、情報提供制度が非難されなければならないのに、その無知を隠して大勢の味方となる。日本は、このことを繰り返しているといつまで経っても「経済一流、文化三流」の国際評価から抜け出すことはできない。

 権威に頼る姿勢は、真実を見る目を失う。やがて社会の害悪が我が身を襲っても何の抵抗もできない。認知症でもない高齢者がいとも簡単にオレオレ詐欺の被害にあうことの背景には、信じられないほどの社会常識の欠如がある。社会常識が欠如するなかで投票が行われており、日本には民主主義や法治主義はもはや存在しえないのかもしれない。

(了)

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