2024年03月29日( 金 )

【凡学一生のやさしい法律学】元TOKIO山口達也氏の酒気帯び運転の疑い事件~冤罪の一類型

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(1)国民の知らない刑罰法規の2面性

 刑罰法規に限らず、すべての法律は階級性をもつ。それは法律を制定する権力の価値観、意向に従っているという側面を有しているということだ。一方、権力者によって被治者が苛酷な刑罰法規に苦しめられてきた歴史のなかで、被疑者・被告人といえども人権が守られるべきだとの思想が台頭した。後者の代表的な法律術語が「罪刑法定主義」であり、「適正手続条項(due process of law)」であった(憲法第31条)。しかし、学校の公教育ではこの後者の具体的意味までは教えていない。結局、国民は法務官僚のつくる法律に翻弄されているままである。
 元TOKIOの山口達也氏の飲酒運転事件の顛末は、その見事な事例となっている。

(2)刑罰法規は国民を保護する法規

 権力者が恣意的に刑罰を国民に科することがないよう、刑罰法規は正確・厳密・一義的(厳格性の要件、曖昧性の排除)でなければならない。権力者の「解釈」の余地があれば、刑罰法規は憲法違反の法令となる。

 これは刑罰法規執行者(警察官・検察官・裁判官)のみが理解していれば済む問題ではなく、国民にも周知されていなければならない。なぜなら、これは官による「誘導」の弊害を生む余地があるためである。無知の者を有罪の要件該当に誘導した冤罪も数限りない。とくに、犯罪構成要件が「故意」(認識・意識)に依存する場合はそうである。

(3)飲酒運転の刑罰法制

形式犯と故意犯

 故意過失意識を問わず呼気検査による一定数値以上を「酒気帯び運転」として処罰する(形式犯)。また、飲酒をして運転している認識・故意があることおよびその飲酒の影響で酩酊運転の状態にあることを「酒酔い運転」として、より重罰の科刑で処罰する(故意犯)。

(4)曖昧性の塊、「酒酔い運転」条項

飲酒の認識

 酒を飲んだとしても、一定の時間の経過や睡眠により飲酒状態から離脱・解消したという認識で運転した場合は「飲酒の故意」ありといえるか。普通にあり得る弁解である。

 行為者の内心の状況が故意の成否にかかっているため、捜査官は仕事上、必ずその区別を意識して事情聴取する。これは正に「誘導」を意味しているのである。これは何も知らない一般市民が「誘導」され、重罪の「酒酔い運転」により処罰を受ける現実の経緯である。

酩酊の立証

 事故そのものは結果であるため、酩酊はその事故に至る前提行為であるという事実を含む。事故後にも酩酊状態(「千鳥足」や「ろれつが回らない」などの状況)が確認されれば問題はないが、山口氏はそのような明白な状況ではなかったことが報道されている。

 報道では、山口氏が「蛇行運転」や「不合理運転」をしていたことを示すというというドライブレコーダーの映像がさかんに流されているが、これらが「酩酊運転」と判断する証拠であると主張することは到底あり得ない。酩酊運転自体が、証拠によって正確な認定が不可能な構成要件であるためだ。主観的な構成要件である「飲酒の故意」も、客観的な構成要件である「酩酊運転」も証拠によって一義的に正確に認定できないため、「漠然性ゆえに違法」(判例)の可能性が極めて高い。

 とくにニ輪車の場合、四輪車の場合のように直進走行機能(トーインやキャンバ角)がないため、比較的車の少ない道路では遅い速度での一定の蛇行運転は普通のことであり、ましていったん停車をきちんとしているが、その後の発進が正常ではないとの報道は、最初から「有罪の心証」で証拠をながめる日本の裁判官の悪弊と同じである。

 自転車を含む二輪車の特性として、走行速度が遅ければ遠心力が弱く蛇行する。速度が速ければ直進性が高まる。このような物理の基本知識さえあれば、「山口氏の動画が酩酊運転」との判断をまったくできないことが理解できたであろう。

(5)またも先行した捜査機関リーク情報

 日本の報道機関の事件記者には、一定の法的資格や基本的教養を必要とする資格制度にしなければ、江戸時代の「岡っ引き」や「瓦版」より酷い「御用達」報道が氾濫している。

 上記に説明したように、「酒酔い運転」条項には捜査官の「誘導」を生む「曖昧性」がある。それをまったく知らない事件記者が捜査機関のリーク情報を報道している日本の報道機関の現状に対しては、「刑事の被告人、被疑者に対する人権の保護・擁護意識に欠けている」と非難するのが妥当であろう。

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