2024年04月19日( 金 )

2022年以降の世界経済秩序~米中激突と日本の最終選択(3)

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 グローバリズムや自由貿易といった「幻想」は雲散霧消した。米国は左右に引き裂かれ、欧州は泥沼状態にある。一方で中国やロシア、東欧などでは全体主義の傾向が強まっている。2022年以降の世界経済秩序はどうなるのか。谷口誠元国連大使・元岩手県立大学学長に聞いた。陪席は日本ビジネスインテリジェンス協会理事長・名古屋市立大学特任教授の中川十郎氏。話は谷口氏と親交がありノーベル賞候補だった2人の傑物、三島由紀夫氏と森嶋通夫氏にまでおよんだ。

元国連大使・元岩手県立大学学長 谷口誠 氏

技術を守るよりも、より高い技術を目指すべき

 ――米中貿易戦争で得する国はないわけですね。

 谷口誠氏(以下、谷口) 私が外務省に入省した当時の為替は1ドル360円で、日本の賃金はアメリカの10分の1といわれました。しかし、GATT(関税および貿易に関する一般協定)に加盟し、これから貿易が発展していく段階では、現在の中国もインドも同じですが、低賃金であるのは仕方がないことです。また、技術を教えてもらい、盗むのではなく、真似するのも当然のことです。すべての分野で、まったく白紙の状態から生まれてくる新しい技術などはほとんど存在しないからです。

 そのことで途上国を叩いても、アメリカ経済においても世界経済においても何ら得るものはないのです。パテント・ライセンスの問題はあっても、先進国は技術を守ることよりも、より高い技術革新を目指すほうが賢明でしょう。

 中川十郎氏(以下、中川) まったく同感です。私の情報研究の恩師であるスウェーデン・ルンド大学のステバン・デジエル先生は、「今(当時)、欧米では日本が先進国の技術を盗んだと大騒ぎしています。しかし、途上国が先進国の技術を盗むのではなく、真似するのは古今東西、普通に行われてきたことです。たとえば、デンマークの陶器・ロイヤルコペンハーゲンは有名ですが、日本の陶器・古伊万里の染付の影響を強く受けています」と言っていました。

 ――少し話題を変えます。2022年以降の世界経済秩序を考えるうえで、ノーベル賞候補だった2人の傑物の声に耳を傾けたいと思います。1人目は森嶋通夫氏(経済学者、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)名誉教授)()です。

谷口 誠 氏
谷口 誠 氏

 谷口 森嶋先生との最初の出会いは、1956年に私が留学先のケンブリッジ大学に向かう貨客船のなかです。森嶋先生はオックスフォード大学のジョン・リチャード・ヒックス教授(1972年にノーベル経済学賞受賞)のもとへ向かう途次でした。森嶋さんご夫妻(夫人は数学者)は私の向かいの船室で、約1カ月間寝食をともにしました。森嶋先生は、すばらしい経済学の泰斗であるとともに、私生活では自由人でした。1等船客のため、食事はすべて船長と同じフランス料理でした。ところが、洋食はお好きでないので、しばらくすると食堂に出てこなくなり、時には自分の豪華なフランス料理を船員の和食と交換したりしていました。また、船室のトイレは様式でしたが、森嶋先生は「和式がいい、洋式は難しいね」とよく言われていました。

 森嶋先生とは長い船上生活のなかで、経済学のことを中心にさまざまなことをお話ししました。森嶋先生は京都大学でも大阪大学でも、徹底して権威に屈することなく議論して、持論を展開された方です。学問に対する飽くなきチャレンジ精神と凄みを感じました。

 「自分は今徹底して経済学の基礎である数学をやっている。君も徹底して数学をやらないといけません」という言葉が印象に残っています。神戸生まれですが、大阪人的な気質もあり、「どんどん論文を書きなさい。下手な鉄砲も数撃てばあたります。世の中に認めてもらう、広く自分を知ってもらうことが大切です」と言っていました。

 次のような逸話も残っています。森嶋先生がスカラーシップをもらってアメリカに行ったとき、マサチューセッツ工科大学(MIT)のポール・アンソニー・サミュエルソン教授(1970年にノーベル経済学賞受賞)に、「今まで何度も論文を送ったのに音沙汰がなかった」と直談判しました。するとサミュエルソン教授は、自分の書庫から論文を探し出し、恐縮して「申し訳なかった。自分は見ていなかった。イタリアにある数理経済学会に自分のコメントをつけて送る」と言ったそうです。森嶋先生のノーベル賞候補者への道は事実上、ここから開けたものと思われます。

※:1923~2004年。理論経済学者。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE) 名誉教授、元LSE Sir John Hicks Professor。大阪大学名誉教授。イギリス学士院会員。近代経済学の立場からマルクスやワルラス理論を分析・解釈し、国内外で注目を浴び、日本の経済学を国際的水準にまで引き上げた。1965年に41歳の若さでエコノメトリック・ソサエティー(国際計量経済学会)会長に就任。1976年文化勲章を受章。「日本人初のノーベル経済学賞」の有力候補とされていた。 ^

(つづく)

【聞き手・文:金木 亮憲】


<プロフィール>

谷口 誠 氏谷口 誠(たにぐち・まこと)
 1956年一橋大学経済学部修士課程修了、58年英国ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ卒、59年外務省入省。国連局経済課長、在ニューヨーク日本政府国連代表部特命全権大使、OECD事務次長(日本人初代)、早稲田大学アジア太平洋研究センター教授、岩手県立大学学長などを歴任。現在は「新渡戸国際塾」塾長、北東アジア研究交流ネットワーク代表幹事、桜美林大学アジア・ユーラシア総合研究所所長。著書に「21世紀の南北問題 グローバル化時代の挑戦」(早稲田大学出版部)など多数。

中川 十郎 氏中川 十郎(なかがわ・じゅうろう)
 東京外国語大学イタリア学科国際関係専修課程卒後、ニチメン(現・双日)入社。米国ニチメン・ニューヨーク本社開発担当副社長を経て、愛知学院大学商学部教授、東京経済大学経営学部教授など歴任。日本ビジネスインテリジェンス協会理事長、中国競争情報協会国際顧問、日本コンペティティブ・インテリジェンス学会顧問など。著書多数。

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