2022年01月21日( 金 )
by データ・マックス

「稀有な存在」己の信義を貫いた樺島敏幸氏

驚きの作州商事転籍

博多駅前 オフィス街 イメージ   樺島敏幸氏という個人名だけを聞いてもピンとくるのは関係者ぐらいだろう。しかし、「(株)作州商事を再建して第二期黄金時代を築いた功労者」と聞けば、「あの樺島さんか」と言う人が多いのではないだろうか。

 樺島氏は11月末に作州商事の代表取締役社長を退き、引退した。樺島氏は1966年、福岡相互銀行に入行。筆者は当時、福岡シティ銀行(現・西日本シティ銀行)箱崎支店の支店長だった樺島氏と知り合った。樺島氏を一言で言い表すと「律儀で使命感の強いバンカー」である。その後、樺島氏は本部審査副部長に就任。情報交換などを通じて親交を温めてきた。

 2002年10月、樺島氏は銀行を退行。作州商事に第二のビジネス人生を託したことを知った筆者は驚愕した。当時、同社は「馬力」を発揮していたものの、同社の創業者である城戸辰徳社長は、業界内で「超ワンマン経営者」と評判だったからである。

 その時、筆者は「よりによって作州商事を選ぶことはないだろう!樺島さんなら、堅実な会社の常務などになれたのに…」と感じたことを今でもよく覚えている。案の定、作州商事入社後、樺島氏は城戸社長のワンマンぶりに頭を痛めることになる。

脱税により城戸社長らが逮捕、樺島氏が社長に

 樺島氏が入社してから4年目の2006年6月期、作州商事は過去最高となる売上高200億円超を記録するなど絶頂期を迎えていた。ところがだ。同年2月7日、城戸社長、相澤宏文元監査役、城戸社長の妻・章代取締役が逮捕され、一挙に会社存亡の危機を迎えたのである。

 金融機関としても脱税という脱法行為を犯した企業を支援するわけにはいかず「経営陣の一掃が支援の前提」という結論を下した。樺島氏が在籍していた銀行からも「いろいろとバックアップするから社長に就任して再建役を引き受けてくれ」と懇願された。

 樺島氏は世話になった銀行側の熱意にほだされるかたちで社長就任を了承。ところがだ!抱き合わせの「個人保証も引き受けてくれ」という要請もあった。樺島氏も一瞬、躊躇したらしい。しかし、熟慮して「2~5億円の金額の保証なら断っていた。当時の借入総額は100億円を超えていた。個人保証しても払えるはずがない膨大な金額だ。だから保証人を引き受けた」そうだ。思い切った決断である。元銀行マンであれば「逃げ散らかす」のが、普通の選択であり、批判される筋合いはまったくない。

創業者として「悲憤の死」

 作州商事の創業者・城戸辰徳氏は逮捕されて2年10カ月後、癌で亡くなられた。「悲憤の死」である。逮捕されて以降、経営に対する城戸氏からの口出しは皆無だった。だからこそ、樺島社長は必死で会社の信用回復のために全力投球した。その結果、業界でも注目される業績を積み上げられるようになった。

 「頑張りの原動力は同氏の責任感の強さである」と銀行で樺島氏の先輩格にあたる人物(事業を起こした経営者)は樺島氏を評する。そして「樺島氏は9年間、マンツーマンで新社長の高橋氏を指導してきた。『もう大丈夫』と判断して譲ったのだろう」とも語る。

 樺島氏は「当分の間、全国にいる友人を訪ねつつ、日本一周の旅を楽しむ」と話している。

関連記事