2022年06月29日( 水 )
by データ・マックス

佐川急便に7,200台の軽EV供給 EVベンチャー 「ASF」(中)

 100年に1度の技術転換期といわれている。EV(電気自動車)である。EVシフトは世界的傾向だ。先行するテスラを追って、アップルなど巨大IT企業が参入の機会をうかがっている。ソニーグループはEVへの参入を表明した。「車は家電になる」。そう確信した元ヤマダ電機副社長・飯塚裕恭氏は日本発のEVベンチャー、ASFを立ち上げた。

飯塚氏はヤマダ電機で社長候補に目されていた

ヤマダ電機    飯塚裕恭氏は家電量販店業界では、知らぬ者がいない有名人だ。1965年生まれの57歳。85年に(株)ヤマダ電機(現・(株)ヤマダデンキ)に入社以来、ヤマダ一筋。システム事業本部長、商品管理事業本部長を経て、2008年に副社長に就任した。経済専門誌で、ヤマダ電機の社長候補と報じられたことがある。

 ヤマダ創業者の山田昇氏は“脱オーナー経営”に舵を切った。16年4月1日、山田昇・社長兼CEO(最高経営責任者)が代表権のある会長に就き、桑野光正・常務総務本部長が社長に昇格した。甥の一宮忠男・副社長兼COO(最高執行責任者)は副会長兼CEOとなる。創業一族以外の社長就任は初めてだ。

 桑野氏は、ヤマダが02年に買収したディスカウントストア、(株)ダイクマの出身。同業他社でもほとんど知られていないノーマークの人物だ。「桑野WHO?」と首を傾げるほどの無名である。

 『週刊東洋経済』(16年2月6日号)は、人事の内幕をこう報じた。

 〈社長候補として社内外の関係者が注目していたのは、むしろ飯塚裕恭専務(51)のほうだった。POS(販売時点情報管理)を導入し、IT化を指揮するなど、辣腕ぶりで知られていたからだ。

 しかも飯塚氏は、つなぎ役のショートリリーフとみられていた。その後は、山田社長の子息である山田傑(まさる)取締役(41)が社長に就くというのが、大方の見方だった。〉

 傑氏は01年にヤマダに入社。広報室畑を歩き、昇進を重ね、12年に取締役に昇格。取締役兼上席執行役員広告プロモーション本部長に就いていた。

 〈ところが山田社長は、傑氏の社長就任は、今回はもちろん、将来的にもないことを、1月21日の社長交代会見で断言したのである。

 「息子は広告プロモーション本部長として、責任をもってやっている。それなりの人材であれば、登用することがあってもいいと思う」とした一方、「人それぞれの資質がある。私の息子の将来については、代表者として、後継者として、その任にないかなと思っている」と語った。社長交代会見で、自身の子息が継ぐことはないと言及するのは、極めてまれだ。〉

 創業者の父に引導を渡された傑氏は16年6月末、ひっそりと取締役を退任した。

 それから4年。ヤマダ電機は20年6月26日開催の定時株主総会で、10月1日付で持ち株会社(株)ヤマダホールディングス(HD)への移行を正式に決定。ヤマダHD社長には創業者の山田昇氏が就いた。

 ヤマダ電機は持ち株会社移行をにらみ、役員を一新した。山田氏の甥で元社長の一宮忠男代表取締役副会長兼代表執行役CEO、前社長の桑野光正取締役兼執行役員副会長など6人が退任した。このとき、飯塚裕恭取締役兼執行役員副社長Newビジネス開発室長も退任した。

EVベンチャー・フォムの社外取締役に

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 飯塚氏はヤマダ電機を辞めたのと同時に、20年6月にEVの企画・開発会社ASF(株)を設立し、代表取締役社長に就いた。飯塚氏とEVの関わりはヤマダ時代にある。

 ヤマダ電機は17年10月、EVベンチャーの(株)FOMM(フォム、神奈川県川崎市)と資本・業務提携し、新規事業担当の飯塚氏がフォムに社外取締役として送り込まれた。

 フォムは、トヨタ車体(株)で超小型EV「コムス」の開発に携わった鶴巻日出夫氏が、東日本大震災を契機に、水に浮くEVをつくろうと13年に設立したEVスタートアップ企業。主力製品である「FOMM Concept One」は、水害の多いタイで、水上でも時速2km程度で移動できる水に浮くEVとして話題になった。超小型でありながら、4人乗りで、ドアをスライド式にするなど、東南アジアの渋滞を意識して開発された。

 ヤマダ向けには日本の規格にあったEVを別途開発し、組み立ては船井電機(株)に委託する。ヤマダはEV開発のベンチャー企業に出資し、住宅や金融サービスなどグループ会社が手がける商品とEVをセット販売する新たな販売方法を探る。その重責を担ったのが飯塚氏だった。

(つづく)

【森村 和男】

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