2024年04月26日( 金 )

日本M&AセンターHD、契約書偽造もトップに反省の色なし(後)

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 会社の経営を後継者に引き継ぐ事業継承が差し迫った課題になっている。国は経営者の年齢が70歳を超えても後継者のいない中小企業が25年に127万社に達すると試算。廃業する会社が増えれば、25年ごろまでに約650万人の雇用と約22兆円のGDPが失われる。いわゆる「2025年問題」だ。この状況を後押しするかたちで、破竹の勢いで成長しているのがM&A仲介会社だ。だが、問題は少なくない。リーディングカンパニーである日本M&Aセンターホールディングス(東証プライム上場)は「イケイケドンドン」の勇み足が目立つ。

分林保会長は観世流の能楽師だった

丸の内 イメージ    日本M&AセンターHDは、どういった人物たちが経営しているのか。

 1991年4月、全国の公認会計士・税理士が中心となり、(株)日本エム・アンド・エーセンター(現・日本M&AセンターHD)が設立。このベンチャー企業に、現会長の分林保弘(わけばやし・やすひろ)氏(78)と、現社長の三宅卓(みやけ・すぐる)氏(70)が参画した。

 分林氏は京都市生まれ。父は観世流能楽師、母は裏千家茶道教授。自身は3歳で初舞台を踏む。観世流能楽師分林道治氏は甥にあたる。

 立命館大学経営学部在学中の1965年、「全米能楽公演ツアー」を企画・実行。全米35州をめぐり、20以上の大学で4カ月にわたり能楽公演を行い、当時の米国社会・経済に強く影響を受けて帰国。

 1966年、卒業後、外資系コンピュータメーカーの日本オリベッティ(現・NTTデータルウィーブ)に入社。全国の中小企業や会計事務所にコンピューターシステムを販売、会計事務所担当マネージャーを務める。

 このときの人脈が日本M&Aの会計事務所ネットワークの基礎になった。クライアントである会計事務所のなかで、企業の「経営権の承継」問題を認識していることを認識。この状況を受けて後継者問題を解決するためのM&Aの必要性を見出した。

 91年、公認会計士や税理士とともに、日本M&Aセンターを設立。取締役に就き、翌92年に社長に就任。2008年に社長を退き、会長となる。

日本オリベッティの上司と部下が”脱サラ”で起業

 三宅卓氏は、神戸市の生まれ。大阪工業大学工学部経営工学科卒。「プロの写真家」になるつもりで、暗室に籠りきっきりになり、2年留年した。そのころ、写真のテーマにしていた「人間疎外」を解決するツールはコンピューターと信じ、1977年、コンピューター会社の日本オリベッティに入社。

 工学部出身だったのでソフト部門を志望したが、「ソフトの才能」がないと言われ、1年で営業に出された。新卒営業は、飛び込み新規開拓部隊で、その上司が”鬼の営業課長”の異名をとる分林保弘氏だった。

 分林課長の下で、会計事務所営業を6年。その後、金融機関に融資支援や国際業務のシステムの企画・販売を行うビジネスを7年やった。名古屋の金融事業所長をやっているとき、分林氏が名古屋にセミナーにきており、夕食をともにした。

 夕食の席で、「今度、後継者問題を解決するためにM&Aの会社を設立するつもりだ」という話を聞き、「ぜひ参加したい」と直感的した。「ちょうど都合が良い。全国の税理士・会計士をネットワークするので全国展開が必要なのだ」ということになって参加した。38歳の時だ。

 日本M&Aは、分別氏と三宅氏が2人三脚で取り組み、三宅氏は2008年、分別氏の後任として社長に就いた。中小企業のM&A実務のパイオニアであり、経験に基づくM&Aセミナーは毎回好評だ。

 12年8月9日放映されたテレビ東京のカンプリア宮殿で、村上龍氏から『会社が生まれ変わるために必要なこと M&A「成功」と「幸せ」の条件』(経済界刊)について、「今年読んだ本で一番面白かった」と言われた。

事件直後、分林会長は日経に自伝を連載

 思わず、のけぞってしまうような記事が飛び込んできた。日本経済新聞の「こころの玉手箱」(夕刊)のコーナーに、「能楽師の家からM&Aの先覚者」と題して、日本M&Aセンターホールディングス会長・分林保弘氏の自伝が、3月7日~3月11日に5回連載されたのだ。

 日本M&AセンターHDが売上高の不正計上を公表、大量の社内処分を実施、三宅卓社長が業界団体の代表理事を引責辞任した。その直後に、分林会長の立志伝を華々しくぶち上げたのだ。「これはちょっと違うのでは」と首を傾げざるを得ない。

 このコーナーはかなり前から企画されていたため、差し替えは無理だったのだろう。日経はさぞや頭が痛いに違いない。分林会長自身も、連載を延期し、謹慎を示すのが筋だったが、傲慢さを見せつけて、逆効果となった。

 分林会長、三宅社長の言動を見ると、今回の事件を、制限時速をちょっとオーバーした程度にしかとらえていないのではないか。経営2トップに反省の色なし。それが問題だ。

(了)

【森村 和男】

(中)

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