2022年05月28日( 土 )
by データ・マックス

【日本地方再生の道(1)】「丹波・丹後」歴史資産が詰まっていた(1)

日本再生は地方から

丹波・丹後    日本人の人口減少に危機感をもっている人は少ないが、近い将来、ショッキングな現実に直面しなければならない。東京・横浜・名古屋・大阪・福岡という中核都市の繁栄が地方に波及するという単純な活性化策ではもう遅いという結論である。全国各地に生活持続不能な集落が続出。県庁所在地ですら、人口減の都市が目立ち始めている。

 今後は、各地方から自立再生のモデルケースを創生しなければなるまい。そこでこの企画では、地方を回りながら現状の情報発信や活性化の提案などを行っていく。第1回は、「丹波・丹後」に焦点を当てた。日本の京に接する歴史遺産と、京阪神という大票田に囲まれるメリットを享受できたこの地域も、人口減に関しては深刻な事態に直面している。

京の影響を受けた先進地域

丹波・丹後

 かつて、現在の京都府は山城国・丹波・丹後に分かれていた。山城国は現在の京都市から南東部に位置していた。丹波は京都の西にある亀岡市から丹波市・丹波篠山市が中心になる。さらに北上すると、福知山市・綾部町から丹後地区に入る。丹後半島から舞鶴まで広範囲におよぶ。

 いつも実感することだが、現地を踏まないとわからない。京都市と舞鶴市の位置関係である。意外と舞鶴市のほうが西にあることに気づく。福岡の方々も、京都市よりも北部(丹波・丹後)のほうが広大であり、海に面していることを知って驚くだろう。

 さらに北西すると、豊岡市に突き当たる。ここからが現在の兵庫県で、但馬国となる。現在の県・府の区割りも、昔の国割から継続していることがわかる。但馬の玄関口・亀岡市から南下すると、姫路市に向かう交通の流れになっていることを知る。姫路市は昔の播磨の国の中心部にあたる。京都との距離感で微妙な変化を知る。

 豊岡市で4~5人の女性に話してみたが、京弁の訛りが薄くなっている。これは、丹後地区で遭遇した経験である。

 宮津市で宿泊した先の女性主人の言葉が、まさしく京都で耳にする訛りであった。改めて感動した。「歴史の継承は言葉に表れる。蔑ろにできない。思考パターンにも連動するだろう」と。天橋立のガイドや舞鶴のレストランの女性などからも、同様の京訛りの言葉を耳にした。訛りから気品が感じ取れた。

琵琶湖の湖畔地区は光明、丹波・丹後西部地区は暗闇という錯覚

丹波・丹後    長い間、京の都は日本の首都であったため、時代ごとに京を中心に動乱が繰り返されてきた。ここでは、織田信長の天下取りの時代に触れながら論を進めよう。

 琵琶湖湖畔にそびえ立つ安土城に立って、琵琶湖を見下ろしたことがある。信長同様、「天下取りの覇者」の気分に浸った。「あの比叡山を越えれば京が広がっている」と妄想した。一時的な天下取りの覇者の妄想体験からも、「京の東に位置する琵琶湖湖畔は光明が燦燦と降り注いでいる先進地区」と勝手に思い込んでいた。

 それに対し、丹波の玄関・亀岡をたって明智光秀は一路、本能寺に向かい信長を暗殺した。亀岡城跡から本能寺まで20キロ足らず。道は下り坂である。光秀にとって大志は容易に達成された。このクーデターからも、「丹波・丹後は暗い」という潜在的な意識が凝り固まってしまった。

 さらに続く。1582年に明智光秀は主君・信長を抹殺したが、非常に有能な家臣であった。信長は光秀の手腕に託して、丹波・丹波征伐の命を下した。ところが、光秀の辣腕をもってしても「丹波・丹後」統治には苦労した。福知山城がその最前線を担った。丹波ではジゴロ・波多野一党が粘り強く頑強に抵抗していたから、光秀の侵攻プロジェクトも容易には進まなかった。

 秀吉の山陽道展開は、播磨(姫路)を拠点に着実な歩みを見せた。だからこそ、「丹波・丹後の地形は山に囲まれて防衛に徹することができる利点が多く、地元の武士一党は頑固者の塊、うっとうしい暗躍の地域」との確信がますます固まってきた。

 ところが、現場を踏まないと現実はわからない。確かに丹波・丹後は山に囲まれているが、峻厳ではない(海抜1,000mの山はまずない)。かなりの面積の盆地が点在し、中心集落が発展していた。このため、経済・文化のレベルは相当なものであった(もちろん、京の影響が強かったこともある)。

 誤解・錯覚を一掃できたのは、丹後半島を駆けめぐった体験からである。「何と解放感溢れる半島であろう」と喜び、満悦した。「丹波・丹後も光明に溢れている」と結論づけた。

 しかし、歴史遺産や自然環境に囲まれていても、地域の人口減と寂れていく経済力という厳しい現実が横たわっている。次回から、視察の核心に飛び込んでいく。

【青木 義彦】

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