2024年05月22日( 水 )

【徹底告発/福岡大・朔学長の裏面史(7)】恐怖政治篇1:医学部教授選考への不当介入(1)──選考プロセスと医学部長の絶大な権限

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「最初はみんな、『朔さんがまた何か言ってるね、困ったモンだね(苦笑)』ぐらいの感じでした。それでもかれのおかしな要求はみんなでちゃんと拒否してきたし、そもそも当時の教授会には堂々議論を戦わせられるようなオープンな気風があった。問題行動がエスカレートしていったのは、かれが医学部長になったころからですね。医学部全体に萎縮したような重苦しい空気が垂れ込め始めたのもそのころからです。」

 福大医学部関係者のC氏は筆者にそう語った。では、医学部長に就任した朔教授が「エスカレート」させていったというその「問題行動」とは。

 「教授選考のときのかれの振る舞いですよ。それはもう、露骨に介入してきましたから」(同氏)。

 ほかのインタビュイーたちも異口同音に、C氏と同じこと──教授選考や昇格等の人事のさいの朔教授の不当で過剰な介入──をいう。医学部の教授選考は、各医学分野のエース=主任教授が各々の学識と経験に基づき、高度先進病院を擁する医師教育機関にふさわしい優秀な人材を学内外から公正に選ぶ重要なプロセス。ここに朔教授は「不当な介入」を行い続け、候補者の能力や資質を度外視して自分に都合の良い者ばかりで福大医学部を固めていったというのだ。

 とはいえ、投票人の一人にすぎない朔教授が、いったいどのようにして自分一人の意志を通すことができるのか。まずは福大医学部で主任教授というものがどのようにして選ばれるのか、教授選考の仕組みをざっと説明しておきたい。

 ある講座の主任教授が、定年あるいは他大学などへの移籍のため、その職務を離れることが決まったとする。その前の年、その教授の後任を選ぶための最初のプロセス、すなわち「主任教授選考委員会」が医学部内で医学部長のもとに設置される。基本的に各講座の主任教授で構成される正教授会での、選挙で選ばれた6名ほどに、医学部長を加えて構成される組織である(この過程に退任予定の教授は参加することはできない)。

 選考委員会設置後、候補者の募集が開始される。福大以外の大学医学部に対しては、候補者を推薦してもらうよう、医学部長の名で各機関の長に依頼文書を送り、公募する。

 これを受けて、各大学から推薦された候補者が、各々「研究業績」・「臨床実績」(手術記録など)・「教育実績」の3種類の書類とともに出揃ってくる。第一段階は書類審査による「第一次選考」である。これらの送られてきた書類を教授選考委員会が吟味・審査し、候補者を絞り込んでいく。

 候補者が3名に絞り込まれた段階で、「第二次選考」と呼ばれる過程に入る。すなわち、第一次選考で残った候補に、正教授会のメンバーが居並ぶ前で、各自20分ほどのプレゼンをさせるのである。このプレゼンの後、選考委員会で1位、2位、3位の順位が決定され、その結果が正教授会に報告される。2週間ほど後に開催される正教授会で投票が行われ、ここで1位となった者が実質的に主任教授に選出されるのである。

 このように、主任教授の選考は、三十余名いる正教授会メンバーの投票により決定する仕組みになっている。そこに朔教授が医学部長としてどのように介入してきたのか。

 教授選考における選考委員会の影響力は大きい。医学部長は常に選考委員会に入るのであるから、朔教授は医学部長就任と同時に絶大な人事権を手にしたわけだ。かれはこのポストを得ようとしては落選するということを繰り返してきたらしいが、“福大の医学部は福大卒が“をモットーとするかれがこのポストに執着してきたのも頷ける。

 とはいえ、選考委員会にはほかの教授たちが選挙で選んだ委員もいる。医学部長とはいえ、そうそう思い通りにはいかないのではないか。そもそも、医学部長によるそうした人事権の濫用を抑止するためにあるのが、「選考委員選挙」という仕組みなのではないのか──良識ある人はそう考えることだろう。だが、まさに人々のそうした「良識」こそが、朔教授の隠れ蓑として機能してきたようなのである。

 証言者たちの話によれば、朔教授は「自分の意向に従う者ばかりで選挙委員が固められるよう、裏工作を展開してきた」(D氏ほか多数)。それも、「本人は絶対、直に手を下すことはしません。医学部内にいる朔教授の医学部同期や後輩の教授たちに命じてやらせる」(B氏ほか多数)。要は、朔教授の“ご意向“を受けた彼らが「実働部隊」(E氏ほか)となって、選挙前に何らかの動きを見せるというのだが、次記事でその模様をお知らせしよう。

(つづく)

【特別取材班】

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(速報)

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