2024年04月25日( 木 )

【ウクライナ・ボグダン氏】戦争でも市民が情報発信できる時代に(後)

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ボグダン・パルホメンコ 氏

 情報の発信の在り方が、変わっている。従来、戦争では大手メディアの特派員や戦争ジャーナリストのようなプロが現地に入り情報を発信してきたが、近年、通信技術の発達などにより、個人、市民としての立場で発信する人も現れた。ロシアのウクライナ侵攻を受け、日本語で情報発信をし、非常に注目される存在となったボグダン・パルホメンコ氏はその代表的な例だろう。

ゼレンスキー大統領の評価

 ──ゼレンスキー大統領のメディア対応、情報発信についてどう評価していますか。

 ボグダン 彼はもともとメディアのプロなのでメディアを使った情報発信の良い点も悪い点も熟知しています。またメディアのなかに仲間が多く、いかなる情報も手に入れられる位置にいます。

 ただ、現状は非常に難しい立場にあります。情報をオープンにして多くの人の注目を引くことはできますが、戦争という状況でなにもかもオープンにしすぎると、いろいろな場所で歪みが生じます。軍事関連で「こういうシステムがある」というような具体的な情報が出てしまうことにより、支援を提供する諸外国との関係が崩れかねません。実際に報道によって支援が取り消しになったケースもあります。ウクライナ人のジャーナリストが情報規制に対して不満を抱いていることについては、規制を認めつつ、今は戦争中であると理解を求めていました。

 今回、事態を難しくしている点として、ウクライナ国内に大勢のロシアのスパイがいることが挙げられます。ロシアはウクライナの各機関にロシア系の人を忍び込ませており、内部から崩そうと工作をしています。大統領が戦争開始時に最も苦慮したのが官邸内にいるスパイへの対処であり、関係者によると、戦争が始まったときに関係者の間でも考えが割れたそうです。大統領はずっと備えをしており、非常に神経を尖らせ、裏切り者をあぶり出すようなかたちで情報発信を行っています。

 メディア関連では、戦争開始後、閉鎖されたチャンネルもあります、運営者がロシア寄りで政府がコントロールできないと判断したためです。ウクライナがずっともちこたえているのは、大統領の対応や情報発信に負う部分が大きく、私も含め国民は非常に感謝をしています。ただ一方で、情報発信が規制されていること、ウクライナ側もプロパガンダを多く流していることに関して疲れも出てきています。

 ウクライナ政府はメディアまたはボランティアという肩書きを装いながら他国のスパイが入ってくることをとても警戒していますが、日本はとくに信頼されている国家に入ります。たとえば知人の日本人ジャーナリストがウクライナを訪れた際には、とてもスムーズにメディアパスが発行されたという事例もあります。

海外メディアへの期待

ボグダン・パルホメンコ 氏    ──海外のメディアの情報発信について望むことは。

 ボグダン 以前、美容・健康関連の(株)MTG(名古屋市)で、海外マーケティングを担当した経験から、プロのマーケッターでも、価値観が違う社会での販売は難しいと感じます。私はロシア語を解するので、ロシアに行き、多くの市民と話をし、いろいろな場所を見て、現地のことが感覚的に理解できますが、言葉が分からない国ではそうはいきません。マーケティング・エージェンシーを選ぶにしても、グローバルで活躍する組織・人と、ローカルに強い組織・人は大きく異なります。私はウクライナ、ロシアについてある程度わかるものの、両国は実際には大きく異なります。そこで、重要なことは、現地にいる、自身を代弁し、いろいろな情報を入れてくれる能力をもった人を見つけることです。ロシア専門の文化人・知識人にウクライナに関してコメントを求めるのは、似たようでまったく異なってきます。日本を含む海外のメディアも、ウクライナのことを理解した人を見つけ、事実を報道してほしいと願っています。

 ロシアは今後、実権が議会に移っていくと予測しています。1年後には、他国がロシアのことを報道すること自体がタブーとなると見ています。しかし、残念なことに日本ではまだ従来と変わらずロシア関係の文化人、軍事専門家のほか、知名度があるという理由でロシア関連のコメンテーターを呼んで意見を聞く機会が多いように見受けられます。ロシア=犯罪国家、プーチン=大量殺害者という認識が薄く、悪をヒーローのように取り上げることに違和感を覚えます。従来の価値観、風習・文化にとらわれず、新しい認識を早く日本でも広めていただきたいと願います。

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 今まで日本では、ウクライナはソ連の後継国家の1つという程度の認識しかなく、ウクライナ人を含めあまり知られていなかったと思いますが、戦争という悲劇が発生したことで、ウクライナがロシアとは別の国と認識され、ウクライナが日本と極めて似た価値観をもった国だとわかり、日本の皆さまに興味をもたれるようになりました。今後、ぜひ両国民の交流が深まればと願っています。

 私自身の周りにもボランティアでウクライナや私を支援してくれる方が日本にたくさんいらっしゃいます。情報発進のサポートをしてくれる方、メディア出演をサポートしてくれる方、YouTubeの動画やホームページの作成などを行ってくれる方々。またウクライナ国内にもチームがいて、皆さまからいただいた支援金を困っている方々への送金や、食料の配布、青少年のスポーツ支援なども行っています。

 これからも粘り強くウクライナのことを報道し続けたいと思っていますので、引き続き応援いただけると嬉しいです。

(了)

【茅野 雅弘】


<プロフィール>
ボグダン・パルホメンコ

1986年旧ソ連・ウクライナ生まれ。90年に日本に移住し、神戸市・大阪市で中学校卒業まで過ごす。キーウの大学を卒業後、三菱商事現地法人勤務などを経て、キーウにて化粧品輸入販売会社SEPA LLCを設立、経営を行っている。

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