2024年05月19日( 日 )

日本電産「永守独裁体制」の行方 大番頭が社長就任(後)

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 「お山の大将 おれ1人 あとから来るもの つきおとせ ころげ落ちて またのぼる 赤い夕日の丘の上」(西条八十作詞「お山の大将」)。日本電産の「お山の大将」である永守重信会長は、スカウトしてきた後継者を次から次と「つきおとし」てきたため、誰もいなくなり、「子分」の大番頭をショートリリーフに据えた。永守独裁体制の行方を占ってみよう。

学生時代から「親分・子分」の関係

 日本電産のトップ人事で、経済界を驚かせたのは、「大番頭」の小部博志・副会長が社長兼CEOに就任するというもの。小部氏は創業メンバーの1人。創業時から、永守氏と小部氏の2人は「親分と子分」の関係で常に行動を共にしてきた。

 産経新聞は『番頭の時代』の連載記事で、日本電産の補佐役たち(2014年11~12月)を取り上げている。永守氏と小部氏の出会いには、こんな逸話があるという。

 小部氏は福岡県の出身。九州から上京して職業訓練大学校に入学したとき時の下宿先に、社会人1年目の永守氏がいた。あいさつに行くと、永守氏はいきなりこう言った。

〈「子分にしてやる」
 親分肌の永守はその言葉通り、日本電産の創業時、有無を言わせず小部を入社させた。生え抜きの小部は、いまや同社になくてはならない「大番頭」だ〉

 ワンマン経営者である永守氏には、社内で異を唱える者はいない。学生時代から頭が上がらない親分に対する諫言を、小部氏は肝に銘じている。

 〈永守には印象に残っている小部の言葉がある。「『お前なんかいらん』と言ったとき、小部に『私が辞めたら困るのはあなたですよ」と言われ、ハッとした』と振り返る〉

 ともすれば暴走しがちな自分のブレーキ役として、小部氏を評価している。

 裏方に徹してきた大番頭の小部氏が、新社長として初めて表舞台に立つ。報道によると、会見で小部氏は「元々は裏方が自分に向いている」「73歳なので世間がどう見るか承知している」と語っている。批判されることを覚悟のうえで、「親分」のためにひと肌脱ぐことにしたというわけだろう。

2年後に「ポスト永守」を選ぶ

手下 イメージ    日本電産は、創業50周年に合わせ、23年4月より社名をニデック(株)に変更する。それにともない、永守氏は23年4月に社長から副社長5人を選抜。そのなかから1人を24年4月に社長に起用する、と言明した。「子分」の小部氏をワンポイントにして、「一番もうけてくれた人」に託す考えだ。

 早くも、5人の副社長候補の名が取り沙汰されている。ソニーグループ(株)出身の岸田光哉専務執行役員、三菱商事(株)出身の吉田真也専務執行役員、ルネサスエレクトロニクス(株)出身の大村隆司執行役員ら外部からの転職組や生え抜き幹部らだ。

 永守氏は会見で、「24年4月に体制ができたら、(永守氏と小部氏は)フォローをして少しずつ消えていく」と話した。これまで何度も、後継者選びが頓挫してきただけに、今度こそ実現するという保証はない。いくら甘い言葉で語っても、その後の手の平返しの人事のやり方をさんざん見せつけられてきただけに、懐疑的な見方が大半だ。

創業の3原則「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」

 日本電産の特徴は「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」という創業精神に象徴される成長意欲だ。ヒト、モノ、カネのどれを取っても大企業に勝てる要素はなかった。あるのは平等に与えられた24時間という時間だけだ。

 競争相手の2倍働く。相手のセールスマンが1回行くところを2回行く。ライバルが3カ月で仕上げますと言ったら、1カ月半でやる。

 そして「1番以外はビリだ」という思想は徹底している。若いときから銭湯に行くときは必ず1番の下駄箱に入れ、列車の指定席も番号は1番を選ぶ。

 永守氏は、自分と同じ生き方を社員に求める。会社を成長させるために、人前で容赦なく社員を怒鳴りつける。叱責に耐えきれず、会社を去っていく社員は少なくない。今日であれば、「パワハラ」として大問題になるところだ。

 今の日本電産があるのは、小部氏のように永守氏の叱責に耐えながらも会社にとどまり、創業の3原則を実践してきた社員がいたからだ。

 外部からスカウトしてきた後継者候補が、永守イズムを受け入れるとは、とても思えない。関氏もCOOに降格された今年4月の会見で「特徴のある日本電産にポッと入る難しさを感じた」と漏らしている。

経営者には「子分」が必要

 永守氏は「経営者には子分が必要」と説く。小部氏との関係について、「ツーカーの子分」と自著『人生をひらく』(PHP研究所)で紹介している。永守氏がいう子分とは、「親分からの無理難題であっても、『わかりました』と親分を信じて実行する」部下のことだ。

 「部下も育てられない人が多いのに、部下を育てたうえで、さらに子分を育てろというのは酷かもしれないが、事実として、経営者には子分が必要」と説く。

 永守氏はこうした子分の育成には「最低10年かかる」とも記している。永守氏が一本釣りしてきた後継候補は、いずれも短期間で辞めた。永守氏が腹を割って話せる「子分」になれなかった。経営者として「子分」もつくれなかったからだ。

 「ポスト永守」は、今後2年間で決めるという。後継候補が永守氏との「親分・子分」の関係、部下との「親分・子分」の関係を築くには時間が短かすぎる。永守重信氏は、終生「お山の大将」であり続けるだろう。

(了)

【森村 和男】

(前)

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