作家 金堀 豊
今は故人となった中村哲医師のアフガニスタンでの功績は、いくらたたえてもたたえきれない。誰がみても偉大なる国際協力、世界平和のための献身、そう思えてしまう。医師であったから医療行為はもちろんのこと、立派な病院まで建てた。アフガニスタンは農業国なのに水が足りないといって、灌漑工事も陣頭指揮した。さらに、現地の人々の精神が枯渇しないようにと、イスラム教の礼拝堂まで建造した。1人の人間の業とは思えない。
中村氏は気楽に、「いや、そんなたいそうなものはない。日本にいるより快適なだけで」と言っていたそうだ。「ここにはほんものの、人間がいる、いい奴も、悪い奴も含めて」とも言っていたという。
何年も彼の近くにいた人が、あるとき一緒にアフガニスタンから日本へ帰ったことがあるという。驚いたのは、「中村先生、日本に帰った途端にあのイキイキとした顔がしょんぼりしてしまった」ことだという。やはり、中村医師は日本で生涯を終える器ではなかったようだ。
暴徒の凶弾に倒れてもう2年半。いまだに誰が犯人なのかわからないという。テロだったのか、そうでなかったのか、それすらつかめていないそうだ。本人はいずれそうなるのではと覚悟はしていたようだ。伯父である作家の火野葦平の『花と竜』とどこかでダブる。
中村氏が口癖のように言っていた言葉があるという。「私は日本国憲法第9条と天皇さんに守られているんです」。なんとなくわかるような気がするが、これを氏が私たちに残した遺言と受け止めるのが良いと思う。「憲法」と「天皇」とは日本人全員が考え直さねばならない課題なのだから。
憲法については稿を改めるとして、ここでは天皇について論じたい。まず、氏の思っていた「天皇」とは何だったのか。昭和天皇・上皇といった現実の天皇というよりは、むしろ、異国にいて日本を思い浮かべたときに浮かんでくる、イメージとしての天皇であったろう。言ってみれば、日本人の精神の代弁者としての天皇である。
現代の若者にはそういう感覚はないかもしれない。あるとしても、意識には上ってこないのだろう。そうであるならば、天皇とは日本人の意識下に眠る無意識的存在ということになる。
ところが、その無意識に切り込んだ精神分析の元祖フロイトはこう言っている。「我々は無意識のあった場所に戻らねばならない」と。天皇は、日本人が戻らねばならない場所なのである。
天皇という存在は、海外に長く住む日本人の方がつかんでいるかもしれない。日本にいると、自分が日本人であることに気づかないからである。無論、海外に長く住んだからといって、天皇の「テ」の字も思い浮かべない人もいるが、体を張って異国の人々と対峙し続け、しかもその異国の風土に半ば浸かってしまった日本人なら、自らの「日本人」を考える時が必ずくる。そういうとき、古都京都を思い浮かべたり、四季折々の自然を思い浮かべたりするうちに、ふと「天皇」というものと出会うのである。
なぜ「天皇」なのか?私の答えは、天皇とは日本人の宗教の具現だからというものだ。日本人に宗教はあるのかと聞かれれば、もちろんある。日本人の大半がそれを自覚していないだけだ。他者との接触、他者との交流がない日本人は、まだ鎖国状態にある。だから、世界も見えず、自分も見えない。
鎖国とは政治体制の問題ではなく、それによって形成されるある種の心理状態である。起きていても寝ているふりをし、世の中がどうなっても、もっぱら自分の趣味に引きこもる。
そうでない日本人もいる。とくに若者のなかには。そういう若者たちは何より自分たちの日々の生活を守ろうとする。自分たちの生活の質を低下させるすべてのシステムから逃れようとする。これは私のような戦後世代にはない発想で、イデオロギーを掲げて気勢を上げたあの学生運動気質はもうどこにもない。これを一概に退歩ということはできないだろう。
天皇は日本人の宗教の具現といったが、最近逝去した英国の女王エリザベス2世が英国人の宗教の具現であったことを見るにつけ、ますますそう思う。女王の70年以上にわたる君臨ぶりと、それに呼応する英国民とを見て、イギリスはこれからも生き延びていける強い国だとつくづく思った。
未来小説『1984年』を書いた作家ジョージ・オーウェルは、「右であれ左であれ、わが祖国」というエッセイのなかで、自分は左翼的だが、「それでもやっぱりイギリス人だ」と書いている。彼のいう「イギリス人」とは、民主主義でありながら、社会の階層を重んじ、頂点に女王が君臨することを認める人々であり、近代的でありながら、時代錯誤的な伝統を墨守する国民を意味する。
逆説を弄するようだが、時代錯誤に生きるからこそ、人は変化してやまない時代を生き延びられるのである。このことの意味を、次回もう少し具体的に考えてみたい。
(つづく)