天皇制はどうあるべきか(中)時代錯誤こそ天皇の本質

作家 金堀 豊

 今から50年ほど前、私は東京の予備校で講師をしていた。そこには大学の教授もいれば、大学院生でありながら金を稼ぎたいと思っている青年もいた。私はその後者の1人だった。

 そこで知り合ったなかに、女性の数学者がいた。年齢は30代、精神が若々しいのと関西人特有のアクセントとが魅力であった。その人と昼休みに話をしていると、こんなことを言った。

「関西というても、京都と大阪じゃ大ちがい。私自身は京都育ちですけど、東京にきて思うのは、たしかに京都人は他所の人がいうように、難しい人種だということですね。だけど、そこが京都人の誇りでもあるんです。たとえば私の父、『戦争の後、ここは焼け野原だった』とよく言っていしたが、京都は爆撃されてへんのに変やなと思っていて、父にとっての戦争は、実は、応仁の乱だったんです。」

 「戦争」が太平洋戦争でなくて応仁の乱であるとは、私には信じられない話であった。京都人は「ほんま狂っとる」と思ったものである。時代錯誤も甚だしいではないか。近代史というものが存在していないかのようだ。

京都御所 イメージ    それから50年後、今年の夏にたまたま京都に行く用事があった。行ってみると、ちょうど祇園祭が3年ぶりに開催されるということで、朝から町が盛り上がっていた。7月10日前後だったから、まだ山鉾を組み立てている最中だったが、不思議な熱気があった。

 熱気といっても、博多の山笠や唐津くんちとはまた違う。祭りの起源が古いせいか、独特の落ち着きを感じさせるのだ。市の財政が苦しいことは全国に知れわたっているのに、まったく気にせぬふりというのも、ある意味立派だと思った。

 前々から知り合いの京都婦人が「お茶でも一緒にいかが」と誘ってくれた。茶坊は静かで、緑茶の味が滲みた。その婦人、座るやいなや文庫本のような冊子をバッグから取り出して、「こんなもん、ゴミ箱にでも捨てなはって結構」と差し出す。何かと思えば、祇園祭の豆事典である。京都人にとってはよほどに大切な祭りであり、それだけに、コロナのせいで開催できずにいたのはつらかった。ようやく解禁ということで、その婦人も張り切っているのだった。

 それにしても、「ゴミ箱にでも」とはなんという嫌味だ。素直さというものがまるでないではないか。しかし、ホテルに戻ってその豆事典を開いてみると、なるほどこれは時代錯誤の極み。幾多の山鉾の形状や色彩やモチーフ、そして由来など細かく書いてあるのだが、そのどれもが、現代とはほど遠い、昔の伝説を基にしているのである。時代錯誤が嫌いなら、ゴミ箱にでも捨てるがよい、そういうことだったのだ。

 「ゴミ箱に捨ててもいい」の裏の意味は、「間違っても、ゴミ箱に捨てるな」という警告である。そこに京都人のひねくれと意地があるのだが、それが余所者には分かりにくい。だが、どうしてそこまでひねくれるのだろうか。

 別の京都人の話だが、「天皇さんだって、東京は仮住まいに過ぎないのでして、いずれは戻って来はる」というのを聞いたことがある。負け惜しみにも聞こえたが、歴史を振り返れば、確かに天皇が江戸城に住んでいること自体おかしいのである。京都には、立派な御所があるのだから。

 時代錯誤といえば、天皇という存在がそもそも時代錯誤ではないか。だからこそ、時代錯誤を誇る京都に天皇は住むべきなのだ。それなのに、無理矢理にも東京に住まわされている。あまりに理不尽なことで、そのせいで、京都人は「ひねくれ」た物言いをするのだ。

 天皇が東京に住むようになったのは明治維新のあとからである。明治政府は日本を中央集権の強国にするべく、天皇を東京に住まわせ、近代日本国家の顔にしたのである。天皇家は、持ち上げられたかたちで国家運営の盾となったのである。

 徳川体制下での天皇の位置づけは極めて低かった。とはいえ、明治以降ほど管理されてはいなかった。ところが、明治以降の近代天皇は、国家運営の道具として歴史のなかに組み込まれていく。すなわち、その本質であった「時代錯誤」を奪われたのである。

 国民には教育勅語などを通じて絶対神のイメージが植え付けられ、一見して絶大な権力者になったように見え、実情は大きく異なった。陸海軍の統帥権を付与されたといっても名目に過ぎず、軍人たちはそれを盾に、好き勝手をしたのである。いざとなれば、「天皇のための戦争」「天皇のための死」といえる。権力者にとって、これほど便利なものはなかった。

 煎じ詰めれば、近代化された天皇には、天皇が天皇であるために必須な「時代錯誤」が欠けているということになる。天皇は京都の祇園祭のような存在でなくてはならないのに、そうなれないのだ。私流にいうなら、天皇は日本人の還って行くべき精神の原点である。このことを多くの日本人が気づかずにいることが、残念でならない。

(つづく)

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