天皇制はどうあるべきか(後)その意義を論じていない現憲法

作家 金堀 豊

 天皇は日本人の宗教の具現である、そう私は述べた。また、天皇とは時代錯誤にその本質がある、とも述べた。日本人の宗教とはなんなのか、時代錯誤とはどういうことなのか、もう少し説明してみたい。

皇居 イメージ    日本人には宗教があるのだが、これは自覚されていない。無意識のなかにあるからだ。その宗教は、仏教とかキリスト教とかの具体的な宗教ではない。神道がそれに近いといえるのだが、神道と限定してしまうと、これもちがう。

 言ってみれば、自然を神とするだけでなく、すべてを神と感じる感性。万物に聖なるものを見つける感性。これが日本人の宗教なのである。

 天皇は本来そうした宗教の人間的な表れであり、そうであればこそ尊い。しかし、私たちの存在以上に尊いわけではなく、それ以下でもない。では、その機能はというと、私たちの無意識のなかに眠っている精神性を覚醒させる触媒、とでもいうのが適切だ。

 天皇の概念は日本国が存在しなかった先史時代にはなかった。先史の時代は、いたるところ、あらゆるものが、当たり前に聖なるものだった。ところが、歴史が始まり、国家というものが建造されると、聖なるものがなおざりにされ、早くも精神が鈍化した。そこで、聖なるものを失うまいとする人々が、それを神社というかたちで保存し、あるいは天皇というかたちで保存しようとした。

 要するに、天皇とは歴史の流れのなかで、その流れを超越した聖なるものと想定されている。だからこそ、すべては時の流れのなかにあるとする歴史の立場から見れば、「時代錯誤」となる。
 イギリスの歴史学者シーセル・ロスに、『ユダヤ人の歴史』という本がある。この本はユダヤ人の歴史を『聖書』の神話伝説から始めており、そのことについて以下のような説明を加えている。

 「歴史を神話から始めるのはおかしいと諸君は言うが、ある民族の歴史を書こうとして、その民族が何千年にもわたってその神話に基づいて考え、行動して来たとすれば、この神話について述べなくては、その民族の歴史は書けない」。

 私はこのロスの言葉を100%支持する。日本人の歴史を書くにしても、『古事記』の神話なしに始められないのである。断っておくが、神話だから真実でないとはいえない。神話は歴史学者のいう「事実」とは異なるが、「事実」と「真実」とは異なる。神話とは時代錯誤の産物である。もっと正確には、私たちのなかにある時代錯誤的な心、永遠を求める心の産物である。

 「天皇は神話的存在にすぎない」という人もあろうが、私ならその人に「人は神話的存在なしに生きることはできない」と答える。ただし、神話的存在を必要とするからといって、歴史的事実を否定するつもりなどはまったくない。

 事実は事実として正しいと受け入れる一方で、時代錯誤の心性をも守る余裕をもちたい。そのような心の余裕と端正さを、私はエリザベス女王崩御に接したイギリス人にまざまざと見た。現代日本を生きながら、祇園祭にも生きる京都人にも、同様のゆとりを見る。

 安倍晋三元首相は「憲法改正」を訴えていたが、彼が目指した改正対象は「戦争放棄」を謳った第9条だけだった。しかし、本当に憲法を改正するのなら、真っ先に「天皇」を扱った第1条を改正しなくてはならない。憲法は国の基本的精神の表現である。だからこそ、まず天皇の文化的規定がなくてはならない。

 この観点から現行の憲法を見ると、第1条はまったくダメである。天皇は「日本国と日本国民統合の象徴」であって、それは主権者である「国民の総意」に基づくとあるのだが、要するに、天皇は「主権者」ではないと言っているだけのことで、国民にとって天皇がもつ文化的・精神的意味が少しも見えてこないからである。

 第2条で掲げるべきは「天皇が日本人にとって何であるか」ということである。憲法が国の基本精神を表すものならば、当然そうあるべきなのだ。つまり、天皇の日本人にとっての精神的存在意義を、第1条で明らかにすべきなのである。

 現行憲法の第1条は、天皇を政治的に定義し、それ以外はすまいという行政者の都合で書かれている。「国民の総意」などどうでもいいと思いつつ、天皇を自分たちの都合の良いかたちに収めようとする意図がみえみえだ。

 天皇の政治利用は明治維新に始まったが、天皇の名の下に遂行された戦争が終わった時点でも、まだそれが続いていた。否、今もなお、それが続いているのである。

 諸君は、天皇が今でも政治的にしか利用されておらず、国民からますます引き離されていることに気づかないだろうか。三島由紀夫の『文化防衛論』を読めば、それが三島なりの憲法改正論だったとわかるのだが、憲法改正を唱える政治家たちは、たとえこれを読んでも無視している。戦後日本を見たラビ・トケイヤーが言ったように、「日本は死んだ」のであろう。

(了)

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